181キミは今





















吉田傑は、珍しく考えに耽っていた。

白いロビーには清潔感が漂い、三階まで吹きぬけた天井は遥か上。

先進的なオブジェやガラス張りの壁。

近現代的な建物ではあるが、いたるところにある観葉植物や人の声のおかげで、空間は微妙に何かがマッチしていた。

一般的に中央病院と呼ばれる建築物内部、一階の広広とした待合室ロビーの並んだ長椅子で吉田傑は珍しく考えに耽っていた。

が、すぐに思考をやめ、奥にある巨大スクリーンのテレビ画面に目を奪われた。


吉田「日本シリーズは巨人と、近鉄か」


日曜日の真昼間、テレビのワイドショーでは今年の日本シリーズ予想がされていた。

良く見る解説者が両者の長所、短所を述べている。

とはいうものの、解説者と言えば吉田は相川を思い出した。

以前部室で月刊パワベースの『今年のプロ野球戦力比較予想』というタイトルのところにひたすら相違点をのべていたことがあった。

そのことを相川が吉田に力説したものの、当然一割も内容を理解していないのを見てからは相川は吉田にはそう言った話をふってこないようになった。


吉田(そう考えると相川って結構マニアなところあるよな…)


あれだけ選手の特徴を詳しく述べれるぐらいだ、よほど野球が好きなのだろう。

もちろん自分も好き度では負けていないという自負はあるが。


「17番外科でお待ちの吉田傑様、吉田傑様、17番口までお越しください」

と、自分の名前が呼ばれ、受け付けまでいくと、検診結果が渡される。

すでに検診は終えていて、これをもらえば後は帰るだけだったが…。


???「…あれ、吉田主将?」


声に似合わないボーイッシュな格好の小柄な少年がこちらに向かって歩いているのが見えた。


吉田「おお、冬馬」

冬馬「こんにちは、今日はどうしたんですか?」

吉田「ん、夏ん時霧島とやって痛めた足の予後検診ってとこだ」


そう言うと、ちょっと冬馬は不安そうな顔をする。

この男は他人のことを良く気にかけるような節がある。


冬馬「大丈夫…ですか?」


ニッと笑って、ガシガシと勢いよく地面を二三度踏みつける。


吉田「この通りよ」


向こうも笑みを返してきた。

…が、すぐにまた少し表情に陰りが見えた。


吉田「お前は…降矢か」

冬馬「…はい」


右手にはお見舞いの品らしき花が添えられていた。

降矢が花をもらって喜ぶようには見えないが。










あの試合。

北地区予選決勝――成川‐将星戦。

試合は緊迫していた。

例えるなら、天秤に同じ重りをのせているところだった。

後もうどちらかに体重がかかれば、確実にそちらに傾くだろう危うさだった。

最終回、同点満塁で迎えた、九番降矢。

マウンド上はエース森田。

カウント2−3から放った運命を分ける球は、すでに疲れきり、重圧に押し潰されかけた森田の右腕のコントロールは全くきいていなかった。

そして…ボールは降矢の顔面へと直撃した。

しかし、満塁で死球なら押し出しで勝利。

誰もそんなことを思う余裕は無かったが、審判の判断は……無情にもストライクコールを取った。


西条「なんやと!どういうことや!どこに目ぇつけとんねん!」

相川「やめろ西条!落ち着け!!」

吉田「でもどうしてだよ!どっからどう見てもデッドボールじゃ…」

審判「…」

真田「…残念だが、野球のルールには『打者がスイングにいって球に衝突した場合、そのカウントはストライクとなる』っていうのが…あるんだ」

相川「…」

審判「…そういうことだ、残念だが…」

冬馬「降矢!降矢!しっかりしてよ!いや、いやああ!!!!」

六条「血…ちが…いっぱい…」

緒方先生「六条さん!しっかりして!」

大場「降矢どん!」

西条「降矢ぁ!降矢ぁあああああああああ!!!」












左眼球陥没と、頭蓋骨の一部損傷。

奇跡的に死には至らなかったものの、絶望的だった。

おそらく…左目は失明、右打者にとって左目の失明は野球人生の終了を意味した。


吉田「…面会謝絶だぞ、今は」


更に降矢はあの事件で緊急入院して以来、二週間がった今もなお一度も目をさましていなかった。


冬馬「…でも、一人だと…寂しいだろうから。西条君は『アイツは人に情けをかけられんのは嫌いそうやから、俺は絶対心配せん』って言ってたけど…」


冬馬には悪いが、それが正解だろう。

だが本人の意識の無い今、何が正解かはわからない。

ただ両者の性格の違いが良くは現れていた。


吉田「…んー…じゃ、俺も行くよ。みんなの様子も気になるしな」

冬馬「あ…はい」


ちょっと安心したような表情を浮かべて、冬馬はうなづいた。

西条と言い争いでもしたのだろうか。

吉田は近くのごみ箱に左手に持っていた缶コーヒーを放りなげて、エレベーターへの道を歩き出した。








冬馬「…最近、降矢のことがなんだか変に思えるんですよ」


突然そんなことを言い出したものだから、つい呆気にとられてしまった。

しかし冬馬の表情はいたって真剣なそれだった。



吉田「変?」

冬馬「はい…普通こんな大事故なら両親がかけつけるじゃないですか、それなのに誰も来ないし…身内も不確かだし…」

吉田「先生はなんて?」


冬馬は黙って首を振った。


冬馬「連絡先は全部携帯の電話番号で、ちっとも連絡が取れなくて…」

吉田「…」

冬馬「なんだか…怖いんです。そんなことを考えている内に降矢が本当はこの世に存在しないんじゃないか、って思えてきて…」


冬馬の瞳が少し潤んでいた、だから吉田はあえて少しおどけるように肩をすくめた。


吉田「んな訳ねぇだろ。…考え過ぎだって、奴の両親は今海外にいるんだろ?前ちらっと聞いたことあるぜ」

冬馬「そうなんですけど」

吉田「それに、そんな曖昧じゃ学校にも入れないし、生活もできねぇだろうに、それに…………なんだよ、そんな珍しい目で俺を見て」

冬馬「…吉田先輩って、結構頭いいんですね」

吉田「結構ってなんだよ!」

冬馬「わぁ、す、すいませんっ!」

吉田「あのなー、誤解しないでもらいたいんだが、俺は単純だが決して馬鹿ではない!」



そんなことを堂々といえること事態、頭がそんなによろしいとはいえない気はするが。

しかしまぁ、そのあたりで相川先輩とバランスがとれているのだろう、と冬馬は思った。



吉田「っていうか…降矢の病室はどこ?なんか人が少なくなったきたぞ?」


気がつけば普通の病室をいくつも過ぎ、少し薄暗い手術室とかが並ぶようなところに行き着いていた。


冬馬「一般病棟じゃなくて、もっと奥の方なんです」


吉田はぎょっとした。

その響きが降矢の状態が改めて危険であることを思い知らされた。


吉田「…降矢の状態はどうなんだ?」

冬馬「左目はもう完全に……その」

吉田「駄目なのか?」


冬馬は黙ってうなずいた。


冬馬「でも手術は成功して、顔面の骨折もそんなにひどくなくて。折れてるっていってもヒビぐらいだから、意識さえ戻ればすぐに日常生活には差し支えないって…」

吉田「でも、意識が戻らないのか」

冬馬「うん…もしかしたら今日さめるかもしれないし…十年後かもしれないって」



その言葉には吉田も閉口せざるをえなかった。




冬馬「この突き当たりです」

吉田「集中治療室だらけだぜ…本当に降矢、大丈夫なんだろうな」

冬馬「命に別状は無いはずですけど……………あれ?」


ぴた、と冬馬の足が止まった。


吉田「どしたい?」

冬馬「人が…いる」

吉田「人?」


見れば、一つの病室の入り口の前の長椅子に誰かが腰掛けていた。


冬馬「…今まで、誰も来てなかったのに」

吉田「親類じゃないのか?妹さんとか」

冬馬「降矢に妹がいたなんて聞いたことないですよ?」


腰掛けていた誰か、は小さな文庫本を読んでいた。

腰掛けていた誰か、は小柄で制服に身を包んだ、赤毛の少女だった。


冬馬「女の子…」

吉田「親戚の子かな」


何故か。

どうしてか、冬馬はその姿を見た瞬間、背中から汗が吹き出た。

思わず、吉田の背中にしがみついた。


吉田「お、おい、どうした?」

冬馬「わ、わかんないです、でもなんか俺、急に怖くなって…」

吉田「おいおい、顔色悪いぞ大丈夫か?」

???「…あら?」


向こうもこちらに気づいたらしく、本から顔をあげてこちらを見た。

不思議な目をしている、吉田はそう感じた。

何か秘めているような目だ、こういう目は柚子がたまにするから見覚えがある。


???「どちら様…ですか?」

吉田「あ、あー、えーと、降矢君の学校の野球部の主将の」

???「吉田傑さんですね」

吉田「へ?」

???「そちらは…冬馬優君かな?」

びくり、と背中の冬馬が震えた。

吉田「えっと、キミは?」

???「私は…極東亜細亜恒久平和中等学校三年二組]







???「降矢毅の従兄妹にあたります、四路里美です」














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