咆哮が立て続けに鳴り響く。
そんなつんざく音に顔をしかめながら、笠原観凪は一人の女をにらめつけた。
「……まんまと、騙されちゃった……そう言う訳ね」
「まぁそうね〜」
女は視線に悪びれた様子もなく、くるりと回って茶色の髪を舞い上げる。
垣間見える耳のピアスを見ながらも、観凪は表情を崩さない。
数日前、御堂優があった女性だ。
名前は草村茜と言ったか。今ではその名前すら本当だったか疑わしい。
今は白服を着、暴走族張りの格好に見えた。
表情も学校のものとは違う。美しく妖艶な、例えるなら女郎蜘蛛。
引っかかった獲物を罠に嵌め、そのまま全てを喰らい尽くす。そんな、怖気の走る夢魔。
今初めて観凪は彼女の恐ろしさを知った。
縛られた手を胸元に押し付ける。
「ひょーっ、かわいいねえ」
「おいおい、やめとけよ。俺達はあの人を呼びたいだけなんだから」
「わーってるよ。俺も男だからただそう思っただけよ。別にここは無法地帯じゃねえしな」
「…………?」
彼女は首を傾げた。
あの人…………?
自虐ではないが、自分に親しい人間は両手にすら上らない。
そんなヤツを捕まえておびき出せる人間などいるものだろうか?
それに言い方からすればその人間はかなりの偉大な人物。そんな友達などいる記憶はない。
それなのに……何故?
「あ、総長」
「リーダーこんちわっす」
「……おう」
入ってきたのは坊主頭。目付きが悪く、眉毛がかなり太い。
「……あんたが笠原観凪か」
「……そうよ」
ここで嘘をついても仕方がない。
むしろ今の待遇から考えると間違いだと認識されればもっと酷い状況になるだろう。
そう一瞬で考え、彼女は眼を合わせて答えた。
「……そうか」
ふと物悲しい顔へと変わり、すぐに無表情へと元に戻る。
不審に思いながらも、彼の容姿を把握しておく。
歳は高校のニ、三年と言った所か。
酷くキツイ視線それさえ柔らかくなれば、野球部員と言っても差し支えまい。
そんなまだ少年と言ってもいいのに、総長?
「一応自己紹介だ。俺は村井だ。ここの頭代理張ってる。……これから少し尋問する。答えなかったら罰が来る。嘘を吐いてると判断したら犯す。いいな?」
「……分かった」
ここからが、本番だ。
ここでの話し合いが、今の自分を左右する事になるだろう。
「……ひとつめ。御堂優との仲は?」
「……はい?」
今の言葉は自分の耳がおかしくなったか、彼の頭がいかれたか。
どんな要素があったとしても、ここで御堂優――つまり本当にユウの事を言ってるとは到底思えなかった。
「もう一度言う。御堂優との関係は?」
「……唯の友達よ」
「二つ目。御堂優の特徴を列挙しろ」
「……趣味は料理や編み物、クラブは手芸部と調理部をやってる。性格は常に温厚。人の言葉をほぼ受け入れるし、そこら辺に猫が死んでいたら公園に埋葬して泣いたこともあった」
何故だろう? 観凪は思った。
自分が一つ一つ言葉を発するたびに心が疑問に満ちる。
そしてこの空気一体もざわめきだした。
「そ、総長。人違いじゃないんっすか? だって、そんな――」
村井の右肩を掴み、抗議する男。
いきなり拳が揺らめき、そいつは吹っ飛んだ。
彼の顔があった場所に、右手が存在した。
「……ガタガタ騒ぐんじゃねえ。そいつは、間違いなく御堂さんだよ。俺がしっかりと確認したからな」
空気が静まる。
そこを見計らって観凪は質問をした。
「……あんたたち、何が目的なの? ユウの事が、どうしたって言うのよ」
皆を静めるために後ろを見た村井。
ユラリと振り向いた瞬間、身体が総毛立った。
眼。それは眼光と呼ぶべきか。
人を萎縮させる為、黙らせる為、憎しみに、憎悪に満ちた目。
「ユウ、だと」
――――ガッッ!!
身体が萎縮された所に首元を握り締められる。
その力はまるで万力の様で、呼吸が出来ない。
巧みに筋肉の間を通っての締め上げのようで、これは首筋を鍛えても無効だった。
再度周りがざわめき出した。
「あの他人の事を――御堂さんをユウだと? 下の名前で呼んで、あまつさえ呼び捨てだと?」
――――危険
彼女は苦しみながらそう思った。
ニトログリセリンみたいに、少しでも衝撃を与えた瞬間に爆発する。
生涯の中でAAA級に危ないヤツだ。
「オイ、リーダーを止めろ!」
「せっかくのあの人の接点なんだ! 総長を人殺しにさせるつもりか!」
うっすらとした意識の中でそう聞こえ、首への圧迫感が失せる。
途端に出来た呼吸に繋がれた手で押さえる。
「げほっ、がはっ」
「はなせぇっ! お前羅ぁ! あの女に御堂さんを侮辱されて良いのかよぉ!!」
見れば裸締めにされながらも暴れている。
普通多少の腕力差があっても、技術さえあれば捻じ伏せられるはずの技だ。
それなのに、それでも暴れているとは……。
「総長落ち着いてください! あの人とまた一緒に走りたくないんですかっ!」
「……っ!? ……分かったよっ!」
ようやく落ち着いたのか後ろの人間を振り払った。
とりあえず自分も注意して、ユウの事を御堂君と呼ぶ事にしておく事にする。
それでないとどうなるか分かったものではない。
「……御堂君と、何かあるの?」
「……あの人は、俺達にとって大事な人間だ。それなのに、あの人は離れちまった。それだけの話さ」
俯き、グッと押さえる村井。
「そんな事を言われても、俺達はまだ信じられなかった。どうせあの人の冗談だ、すぐに戻ってきてくれる。俺達は社会から摘み出された者同士、そして、あの人に助けられたもの同士なんだから……。戻ってきてくれると、信じた」
そこでこちらを向き、見据えてくる。
「俺達は、おおよそ生まれる場所を間違えたんだ。親から、同年代から、日本から迫害されたんだ。だから、あの人の言葉を信じられなかった『俺は社会に溶け込むつもりだ。みんなも自分の居場所を見つけてくれって』」
――ガンッ!
鉄柱を蹴りだす。
靴に何か仕込んでいるのか、歪にゆがむ。
「俺達の居場所はここだったんだよ! ここ以外ありえなかった! ここで会社を発足させても良かった。気の合う者同士、そんなんで社会へと入っても良かったんだ! あの人さえいてくれれば、俺達は生きてく事が出来たんだ!」
――ガンッガンッガンッガンッ!!!
「何でお前がいたんだよ! あの人――”白髪”に染めた御堂さんを、なんで受け入れる事が出来たんだよ!
「…………」
「……染めてからああ言ったんだ。多分アレは誓いの証だったんだ。この髪に懸けてって。それでも今の学校そんなもんで何の迫害も受け入れるなんて無理なんだ! ……なんでだ、なんでお前は、あの人を迎え入れた!」
「……孤立、だったから」
彼女は、言う。
そこにはもう脅えは消えていた。
前を見据え、村井の眼を覗き込む。
「あたしは、女が好きだった。それを誰かに隠す気はなかった。自分が社会からはみ出ている事を知ってた。でも、それで負けを認めるのが嫌だった。意地……そんな所だと思う」
彼……いや、彼らは同じだ。
ユウと、そして自分と。
それは言うなれば魂の孤立。
誰も、自分の心に接してくれない。
そんな疎外感。
「それを知ってからのみんなの態度は違った。女は脅えた。自分もその対象に入ってるんじゃないかって。男は離れてくか、変な目付きで見てきた。下心を持って接してきたやつとか、もしくはレズだって、そそるよなあとか変な事が聞こえてきた。どっちにしろ、あたしは孤立してた」
誰にも触れてくれない、世界には、人が溢れていると言うのに。
それは、とても残酷な事ではないのだろうか?
人は、一人では生きていけない。
それはそうだ。人と言うのは見返りがないと行動が出来ないからだ。
どんな趣味も、どんな行動も、言うなればその人から何かを貰う為。
金とか、物とか、想いとか……。
最初はそれを行なうことそのものが”見返り”になる。
けれど、いつかはそれに満足出来なくなる。
自分はやっているんだ、だから、認めてくれ、と。
欲で生き延びる種族、人間。
業にまみれて、それでも地球を壊して生き延びる、人間。
「そんな時、ユウを見た。彼は変だった。白髪で、女の子趣味で気は優しくて……。それでも、誰も近づこうとしなかった。彼の白髪が気になった。彼の逸脱した趣味が気味悪かった。彼の優しさが、人に不快感を与えた。彼は、学校の中で孤立してた。彼の全てが、マイナスになってた」
人は生きることを渇望する。
生き物を喰らい、自然を破壊し、地球を病み……。
それは知性を持った事の副作用だったのだろう。
創造と破壊は表裏一体。何かを作るには、何かを壊さなければならないのだ。
材料なくて物は生まれない。
有が無になることは在り得ない。そう錯覚するだけだ。
それと同じ様に無が有になる事も然り。
何かを得るには自分の何かを捨てる事になる。
それは物であったり、生きる時間であったり、人によってその価値は様々だが。
「そこに誰かを求める自分がいた。もしかしたら必然だったかもしれない。出会い、それだけが偶然だったけど……。……そこであたし達は求め合った。あたしは気兼ねなく付き合える友達。ユウは、誰か一緒にいてくれる人間。あたしにとって、ユウは恋に堕ちない男だった。ユウにとって、あたしは依存し過ぎない異性だった。そこには求めすぎない自分達がいて、よって破滅も全く見えなかった」
何故だろう? 何となく、全てが繋がった気がする。
ユウには時々不自然に見えた行動があった。
妙に世間ずれした言葉遣い。そして他人に白い眼で見られる白髪。
白髪をずっとしていたのなら何かしら処世術か、黒に染めるか、捻くれているだろう。
それなのに、彼はそんな事も出来ない様な人間関係の不器用で、捻くれてない真っ直ぐな人間で。
だからこんな自分も、受け入れてくれたんだと思う。
「そしてあたし達は、孤立を失った。線引きの引かれた触れ合いだったけど、それでも嬉しかった。あたし達はそれでも満たされてた。友を得たことによって……」
彼女は周りを見渡す。
バイクの音は消え、全員黙り込んで聞きに入っていた。
何十人いるか知らないが、それが全員、同じ穴の貉なのだ。
「……あんた達は、変わらないつもりなの?」
……全員が、見回した。
自分の事と知りつつも、自分ではない誰かと思いたくて、誰かを捜した。
「ユウは、自分を変えようとした。どんな出来事かは、ユウの知らないあたしには到底想像出来ない事。それでもユウは、この世界で生きようとしている。みんなで固まっていた方が心地良いのに、それでも外を見ようとして行った。……あんた達は結局、ユウに頼ってるだけじゃないの? 頼ってるだけで、自分から何もしようとしていないんじゃないの? 居場所がなければ、作ればいい。変わらなくては、始まらない事だってあるって。この世界は、そんなに綺麗にも出来ていなくて、ただあんた達はそれにちょっと合わない事で悲劇の人間の役に成りきって、酔いしれてるんだけじゃないの!?」
観凪は、叫んだ。
「何もしない癖に、何も変わらない癖に、そんなんで俺の居場所なんて百年早いんだよっ!」
「……って言う事みたいですね。カサラさん」
唐突に、
突然に、
彼は、現われた。
御堂優の登場だった。
彼の髪は、黒かった。