教師は自分の持論を得々と述べ、
学生はそれを巧みに逸らして、
今日も人は老けてゆく。
いつもと変わらない日常。
私が望んだ日々。
それを退屈と思い、その退屈と思う自分の心を嬉しく思い、幸せがあると断言する。
退屈と言う事は、本当に善い事なんだ。
それを、今では分かる。
毎日が勿論、変化と驚きの二つで構成されている事は知っていた。
例えば、カサラさんが授業中眠っていた。
それを教師が見つける前に私は何とかしようと色んな考えを巡る。
そしてそれを考える事に夢中で教師に問題を当てられ、答える事が出来なかった。
赤面したまま席に着くと、カサラさんは笑ってこっちを見ていた。
例えば、私が空を見ていた。
空は変わりなく空で、いつでも青く、私達の上に広がっている。
雲に邪魔されても、そこに確かに空はあると思うと、私は何処となく安心した。
授業へと眼を移すと一人の生徒が熱弁してて、教師はそれに呆れ果てながらも聞いていた。
結論:「パンチラとはスカートの下から見るもんじゃねえ!ズボンの隙間から見るもんだ!!」
訳が分からず笑う者と、賛成して熱い握手をする少数派。そこに反対派の徹底口論。
教師は「なんで数学でそんな話になるんだよ」とボヤキながらも馬鹿達を口を歪めて見守る。
なぜそんな事になったのかと、私は分からずおろおろし、カサラさんと二人話し合っていた日。
例えば、少数しかいない男子の会話。
主題は「萌えとは何ぞや?」
いかにも高校生と言うか、なんでこんな高校でと言うか。
とにかくその談義は何処までも熱くなり、推定気温は1500度。
誰かが雄叫びを上げ、その言葉に感心する者、反論する者、傍観する者。
私は最後者で、凄いなあと思って、巻き添えにならない距離を測る。
男子のみで結成されていた議会に突然女子が参入。「あんた達、そんな話は違う所でやりなさい」
そこで黙らぬがこの高校の強靭なる漢共。
軟弱な者は半年で消えているから、真に強い者で作られたMAN of MAN.
男達は全ての人員を結集し、対比3:7の無謀な戦いへと身を投じる。
最後の言葉は本気で感動した。「俺達はそれでも萌えを求めるんだよっ! それが求めるものである限りなっ!」
でも、使い所間違ってる。
非戦闘員(兵からは非国民と蔑み)の私は非参加者のカサラさんと戦いを観戦する。
結局、全ての兵は現実に打ちのめされて全ての行動を停止させたが。
そんな、クラス全体での馬鹿。
ある者は呆れ、ある者は怒り、ある者は笑って……。
でも、呆れる人は、仕方ないなあとしか思ってなくて、
でも、怒る人も、本当には怒ってなくて、
でも笑う人こそ、嬉しくて笑っていて、
それはとても楽しい日常。
それはある意味退屈な毎日。
けれど、振り返ってみるとこう思うんだ。
ああ、あんな楽しかった事があったっけ……って。
サウダーデ(※)に耽るものは、これを思い出す時はいつか来る。 ※ポルトガル語:
帰る事のない少年時代や会えない人への想い、死別した惜しみの情等が主に取り上げられる。
そんな時、この過去を力にしていくんだ。
全てを抱え込んで生きる力にして、また過去を作ってと。
そんなものを、作るのは大変だけど――――――。
とても楽しい日常――――――――だったはずだ。
待ちわびていた――――――――ものだったのに。
ずっと続いていくと――――――――信じたかったのに。
『笠原観凪を預かっている。御堂優、一人で別れの場所へ来い。 村井』
壊されるのは、一瞬だった。
「ララ〜♪ ララ・ラ♪」
ある一室の台所に、メッゾソプラノの鼻歌が聞こえた。
その声の主は、優璃だ。
彼女はご機嫌な表情で微笑みながら焼きそばを作っていた。
ジューと言う音と一緒に唄が混じる。
どうやら自作曲であるみたいだが、それにしては練度が高く、音の高低まで付けられリズムがよい。
どうやらその方面にも才能はあるみたいだ。
そんな歌を歌いながら、彼女は肉と野菜をかき混ぜる。
「…………ユウ、遅い」
突然、彼女が現実へと戻ってきた。
時間を見ればもう7時。いつも帰ってくる時の三十分遅い。
しかし並よりも素行の悪い人間なのだから、普通と言えば普通であろう。
時々は夜9時位に部屋を抜け出して明け方に帰ってくる事もある。それでも7時ぐらいに家を出るから立派だ。
まあその立派さも今は関係ない。今の問題はちゃんと定刻通りに帰ってこないことだ。
「……何か、あったのか?」
ありえない。そう言っていい。
仮にもあのユウが、何かの問題にあったとしよう。車に引かれそうになるとか。チンピラに関わっているとか。
そんな場合は持ち前の強さを完全に発揮して全ての障害をなぎ倒す。そんな人間だ。
車ならそのまま避ける事も可能だし、第一そんな危険性すら侵さない。五秒後に目先を通るものにさえ注意してするのだ、あの慎重なヤツは。
チンピラなど論外。この前一緒に商店街を歩いたがあるが、その時に変な輩に絡まれた事があった。
その時の眼光で全ての人間を射殺し、衝動で殴りかかったヤツを見えない速度で吹っ飛ばした。
多分殴り飛ばすなりなんなりしたのだろうが、腹部に抑えつけられた彼女は見ることはなかった。
ただ、周りが凄くざわめき、もう誰も手出しをしようとはしなかったが。
それで戦いは終結した。
「……強過ぎ」
素直にそう思う。
大体彼は何故こんな所にいるのだろう?
彼の力量ならば違う場所で躍進する事も可能なほどだ。
知識は多範囲に置いて豊富。腕力や肉体の強さも、そこらの格闘家を軽く倒せるだろう。
きっとどことなり名のあるジムにでも通えば数年後には良い所までいってるに違いない。
現に彼が食事の前にする訓練法を見れば分かる。片手の親指だけで腕立てを行い、両親指で倒立してそこで腕立てを行なった。
奇妙な人間。本当にそう思う。
「……でも、」
そして、その奇妙な人間に助けられた自分も化け物だ。
逃げられたからいいものの、あそこでの自分を射る様な感覚は、思い出すだけで寒気が走る。
他人のあの眼。ただ蔑み、恐怖を奥に潜めながらの、嫌悪の目付き。
アレはなんと言うのだろうか? ただこちらは恐ろしくなる。
息が詰まり、吐き気を催し、目眩がする。
風邪等よりもよっぽどタチの悪いねめつく視線。
嫌だった、アレは。
あの視線に晒される位なら、そんな想いを感じない人形の方が良かった。
視線で言えば、もう一つ嫌な瞳もあった。
唯々、無感動。感情を見せる時はそれの利益に対する欲望の時のみ。
まるで自分はモルモットで、己の昇進の為なら他人の命など露にも思わない。
泣き叫ぶ私を見てはただ嗤う。
苦しむ私を見ては次の準備をする。
やめて欲しいと懇願する私に、皆は口を揃えてこう語る。
お前は、化け物だ。
皆は口を揃えて、こう語る。
お前は人間ではない。
皆は口を揃えて、こう語る。
お前は気味が悪い。
皆は口を揃えて、こう語る。
化け物は、生きる資格などない。
「…………っっ!!」
知らぬ間に息を止めていた。
握り締めて白くなってしまった手を服から離せようとしたが、言う事を聞いてくれない。
開いている左手で一本一本引き剥がす。
ようやく取れた頃には嫌な汗が噴出し、息も荒かった。
酸素を渇望して何度も呼吸をするが、全く静まりを見せようとはしない。
口元が痙攣して、大きく口を開けてもカチカチと歯が鳴った。
「…………怖い」
恐怖。
アレは全て、恐怖だった。
何もかもが恐ろしく、世界が異形の集団で成されており、自分は生まれるべき所を誤ったと思った。
世界に落とされなければ、どんなに良かったのだろう?
そう思うことは、数限り無くあった。
生まれなければ、どれ位の生き物が死を辿らなくて済んだのだろう?
そう気づき、嘆いた。
死ねば、楽になれるのだろうか?
実行しようとした。けど、怖くて出来なかった。
「怖い…………」
寒くてたまらなかった。
冬だという意味での寒いではない。
暖房がついており、服二枚で充分快適に過ごせる気温である。
寒いのは、心。
ふと気付いた、記憶に眠る穴。
虚無と言い替えた方が分かりやすい。それが、自分を貶めようといざなう。
その寒さは、人の温もりを欲していて。
その寒さは、誰かとの繋がりを求めていた。
「ユウぅ……」
彼は、いない。
時計を見れば八時。おかしい位に遅い。
今の痛みに上乗せの、焦燥感。
どうしたんだろう? まさか本当に何かあったのでは?
喧嘩? 交通事故? 通り魔?
あらゆる可能性が浮かび、その全ての最悪の結果が浮かび上がる。
死。
死。
死。
死。
「…………ユウぅ〜……」
涙が出そうになるのを堪えて顔をうずくめた。
どうすればいいんだろう?
その想いだけが空回りし、何の手立ても思い浮かばない。
それと同時に、自分がどれだけユウに依存していたのかが分かった。
たった十数日。それだけの短い時間でそれほど心の中をユウが占めていた。
『俺を信用して、そのまま死ぬか?』
突然、言葉が思い浮かんだ。
それは、最初に会った時言われた言葉。
信用するな。すれば裏切られる。俺に縋れば、そんな末路だけだ。
そんな意味合いが込められた、突き放しの言葉だ。
でも、今の優璃にはそれがとても暖かく感じられた。
あの時のユウはやっぱり、自分を心配してくれたのではないのだろうか?
ううん。きっと、そうだ。
あの時の自分には、それをまだ確信する事は出来なかったけど、今なら胸を張って言える。
ユウは私の為にあんな言葉を言い、世の中を教えようとしたんだ。
夢を持つだけでは到底生きられない世界だから。
それだけで生きられるほどは、優しくないから。
そして、そんな心配をしてくれるユウが、私は……。
「信用、する」
彼は、信用に足る人物だ。
最初に助けられた時は、身体目的だと思った。
けれど自分の身の上を聞かず、そして害しかないはずの私を救ってくれた。
これだけで、良いと思った。
それだけで、自分は……。
――ガチャッ
ドアの開けられる音。
閉めてあるはずのドアを、開けてくる音。
それは、一人しかいない。
「ユウ! おかえ――」
そこで、言葉が途絶えた。
目の前の、光景は――――。
「……よう、ユウリ。ただいま」
赤。
服にベットリとくっついた、血液。
その元は、紛れもない――――
「はは……。ちょっと、しくじっちまった」
彼の、血。
右のわき腹から染み出ている、彼の……。
「――ヤアァァァァァァァァァァァァァァァ!」
少女の叫びが、部屋に響いた。