「……ふぅ」


私の教室入りは早い。

時間にすると平均7:50頃。鍵を取ってくるから、シビアに言うなら45分ぐらい。

椅子に座って溜め息一つ吐き、さっきの事を思索した。


「まずかった、かなぁ……?」


怒りにかまけての、容赦ない言葉。

冷静ではない分急所を外したとは思うが、それでもかなりの苦痛だと思う。


「大人気なかったなあ」


時が経てば立ち直れると思うが、今の心境は大分傾いてるだろう。

彼の場合、心が純粋すぎる。

穢れなき者は、簡単に、純粋なまま罪へと堕ちる。

悪気がなかったとか言いながら、人を容易く崩す事を可能とする。

子供が羽虫をバラバラに引き千切る様に。


「でも、仕方ないよね」


けれども、人は傷ついてしか生きることは出来ない。

生きる為には傷つかないといけないと言ってもいい。

傷ついて、その度に立ち直って、それを+に変えて……。

辛かったからこそ人への優しさが分かり、苦しかったからこそ教える事が出来る。

何も悩んでいない者は、全て偶然でしか人を癒せない。

本能に任せての、底に眠る経験でしか……。


「あーっ、なんか凄いネガティブ思想」


こんなズラズラとものを考えても仕方ないと思う。

それに今の私は凄い偽善的だ。

傷付くのは仕方ないかもしれないが、それを私が傷付ける道理はない。

それにそんな考えを知らない彼が傷付けられるのは、唯の恩の押し売りと同じで、独善的で、白雉な事この上ない。

彼が私の過去をちゃんと知っているのならまだしも、あれを彼は知らない。

今の私は、通り魔と同じだ。道端で会っただけで、刺された。そんな風に。

結局の所、私は起爆スイッチを押された事に腹が立ち、

そしてその怒りは、押した彼へと送られた。それだけの話で、こんな言い訳は必要ない。心底私は言い訳がましい。


「はいっ、考え終了。後一分」


気がつけば7:59。

不思議なほどピッタリな、彼女の来る一歩前。

そんな事を考えてたら、ドアがガラリ。


「おっはよう、ユウ」

「おはようございます、カサラさん」

「あーっ、いつもと同じの笑顔と女っぽい顔。女性っぽい”私”。ほんと惜し過ぎ、あんた。世界か生まれ方間違ってたんじゃないの?」

「朝から嫌にハイテンションですね……。夜を明かしたんですか?」

「…………」

「……もしかして図星?」


固まった彼女の眼を見て言う。

やはりオープンな考えでもそんな所を指摘されたら恥ずかしいのだろう。

当たり前といえば当たり前だが。


「――うっさいうっさいっ。※チェリーメイデンはそんな事情に突っ込まなくてもいいの!」   ※チェリーメイデン。笠原観凪の造語。チェリーボーイ(童貞)とメイデン(処女)を掛けられている。主にユウを虐めや反撃の時に使われる。教師の「生徒の癖に」と同列。

「あっ、それやめてって言ったじゃないですか。大体その言い方はデリカシーと言うものがありませんよ」

「悔しかったら処女か童貞解禁して見なさい。まあ穴が後ろしかないけどね」

「〜〜〜〜っ!」


幾らなんでも、そこまで言われて引き下がれる訳なかった。


「それを言うならあなただって処女じゃないんですか? 別に性行をしたからって高校生で優劣は付けられませんし、第一関係ありませんっ」

「うっさいわねえ。それにこの話で学校の事は関係ないし。言ってるのは精神論に近い所よ。それを言うならあたしは生きる上での経験が高いって訳じゃないの」

「そもそもそんな事じゃなくて――――――」


言い合いは激化した。

……結局、その言い合いは勝ち負けはつかず、ホームルームのゴングで終了を迎えた。

判定やジャッジすらない私達の言い分は流されたのだった。

最も、それは唯の馬鹿のしあいで、本当の怒りは一切なく、唯のじゃれ合いだったのは言うまでもない。

そのカサラさんの言動一つ一つに笑顔があったのだから。




















幸せ。

人は何を持って、幸せと言い足らしめるのであろうか。

科学的に言うのであれば、脳内麻薬が生み出される。それだけで人間は幸せと言える。

現に麻薬へと浸って快楽を求める人間は数万にと上るだろう。

だが、それは科学的にと言う場合であり、論理で言うのであれば、解は無限であり、零でもある。

例えば一人の人間が妄想へと更けこみ、そして帰ってこなければその者は幸せなのだろうか?

その者にとってはYESだろう。

その者の考えによって世界は作られ、その者の意志によって世界は動き、その者の気紛れによって、世界は崩壊する。

全てが意のままに操れるのだから。

だが、それは他の者にとっては幸せではないと言うだろう。

そんな虚構が幸せである筈がないと言い張って。

しかしその者――それを考えている本人には分からない。

幸せと言う者はおおよそ、幸せを考えない者に与えられている自己のみの抽象的概念だろうから。

















「……ねえ?」


晩秋は過ぎ、冬を実感して久しい頃。

優璃は、突然の質問に入った。


「…………」

「ねえってば」

「あぁ、うっせうっせ。シカトしてるって事は今はお前に構っている余裕はねえって事なんだよ。いい加減理解しろ」

「それでも、私訊きたい事一つある」

「知るか。後にしろ。それかその疑問を埋没しろ。大阪湾辺りに」

「……どこか分からない」

「この島国の下の真ん中辺りにある場所だよ。ヤクザ辺りならそこで人をコンクリ詰めにして沈めんだ。そうすれば分かり難いし、上がる事も稀だしな」

「……なんかすっごく怖い事言ってる」

「人間っつうのはそんなものだ。さあ分かったら良いだろ。お前の言う一つは終わった。うるさいから黙れ」

「うー」


そんな事言うよりも質問に答えてくれた方が良かったのに。

理不尽な会話の打ち切りに唸っていたが、彼女もやめた。無駄だからである。

ユウは彼女にとって基本的に冷たい。どんな態度を取ろうが大体は冷徹で、例え自分が死に掛けていても慌てずに治療を行なうだろう。

そんな彼だからこその質問だったのだが……。

諦めて手にした本を、読む事を再開した。

タイトルは分からない。日本語以外は基本的に知らないし、知っているのはちゃんとユウに説明してもらった「あなた(YOU)」と「あれ(THAT)」だ。

よって意味は全く不明である。

開いた時に日本語で良かったと今更ながら思っている。むしろ、今だからこそ、だろうか。もしこれが日本語ではなく、分からないと思って本棚に返していたらこの今の興奮を味わえなかったからだ。

どこまでも暖かく、どこまでも美しく、どこまでも苦しい……。

人を好きになるとは、そう言う事なのだろうか?

そんな事を考えながらも読み進め、幾度もページを捲る。


「よしっ、これで大丈夫だ」

「……ん?」

「終わったんだよ、用事が。……で、お前の訊きたい事ってのはなんだったんだ? まだ考えているなら答えてやるが」

「じゃあ……人を好きになるって、どういう事?」

「……あ?」

「人を好きになること。この本には、甘くて切なくて、けれど大切にしたくて、と書いてある。矛盾。そんな言葉が多すぎる。告白するとその想い消えると言うけど、甘い想いをわざわざ手放すの唯の馬鹿。でも、なんでそうする? それが教えて欲しい」

「……またそんなポピュラーな疑問を……」


少しはオリジナリティーを育てやがれ、とぶつぶつと呟く。

前と同じ反応だ。どういう意味なんだろう? 「自由ってなに」、と聞いた時もそんな表情して、訊いても「なんでもない」と突き放されたが。


「……それで、好きになるってどういう事だな?」

「うん、教えて欲しい」

「……一言、その事を言やあ、答えは有る様で無いって感じだな」

「……分からない」

「黙って聞け。それは人によって違う。感情と言うものは得てしてそう言うものだが、その筆頭と言って良いと思う。時にそれに安らぎ、時にそれを恐れ、時にそれで苦しむ」

「…………」

「科学的に言えば、それは「より良い種族を遺す為の本能」。それで片付けられんだが、人間にそれが当てはまるかは甚だ疑問だと思う。地球に生きている者が地球を殺し、果てには禁忌である無意味な同族殺しまで至っているからだ」

「…………」

「……話が変わったな。まあ、だから科学的、論理的には言えないと思う。そこで俺個人、一人としての見解として言う。その答えは、俺にとって、一つだ。人を好きになるって事は、長い人生と言う名の辛い道のりで、例え死ぬと言う、嫌になると言う別れを危惧しようとも、傷付けられると分かっていても、ちょっぴりの時間、ひとときでも一緒にいたい……。……そんなとこじゃねえか?」

「……うん」


優璃はコクリと頷き、ユウの目線へと合わせた。


「……ユウの言う事、全部理解出来たとは言えないと思う。ユウの言葉を汲み取っただけで、その中に置かれた経験、読み取れる訳ないから。……けど何となく、なるほどな、と頷いた自分がいた。だから、それで良いかも知れない」

「……信頼。それに似てるかも知れねえ。信頼ってのは依存に似ていて、他人に何かしら自分の一部を掛ける事、なんだと思う。そこでは、裏切られる、裏切られたら自分が壊されるかも知れない、そんな恐怖がありながらも賭すと言うのが正しいんだと、な。陳腐な社会の”信頼”とからは及びもつかない綺麗事、だがな。結局、信じると言うことは、自分が壊れるかも知れない可能性があるかも知れないが、それでも裏切られても構わないと思う事、そう俺は”信じている”」

「……ユウはその自分の考え、信じても良いの? 考えは、常に変わってくもの。時間は、想いさえ変える」

「俺が俺を裏切るのは、そうやるべき理由が何処かにあった時だけだ。俺が”信じる”のは全てそんな事を根底にするのだけだからな。仕方ない、そう思える」

「……時々分からなくなる、ユウ」

「何が?」

「ユウの事、ユウの考え、ユウの全て。ユウは空よりも変わりやすい。人を信じるな、そう来た時言って置いて、今度は信頼でそう言ってる。どれが本当のユウなのか分からない」

「また使い古されたネタを。……俺は俺だ。俺足る概念は、全ての顔にカケラがあり、カケラだからこそ、本当足るものはない」

「……混じりすぎて、分からないって事?」

「掠ってるが、違うな。それに人格っつうもんは人がいてこその人格だからな。どれもが解なり、だ」

「…………?」

「後は自分で見つけ出せ。あーっ、喋りすぎて疲れた。メンドイ事やらせるな、カロリーの無駄だ」

「……ごめん」

「うざいから寝る」


彼はそう言い、机へと突っ伏した。

寝息が立つ頃、優璃は布団を数枚掛ける。


「ありがとう、ユウ」


その言葉は誰も聞いておらず、どういう気持ちで言ったかは誰も知らず、


静かに冬の夜は冷たさと共に……。





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