「よし、では解散」


担任の合図は、開放の宣言。

この言葉を嫌う者は、このクラスに微々たるものだと思う。

むしろゼロだと信じている。勉強が好きと言う者は、まず平均的なここには来ないから。

担任が好きな人間ならもしくはとは思うが、ここの体育教師ヒビワレの事を、なあ……。

私も嫌いではないが、傍から見たら独善的な行動が多いだろう……この人。

汗と涙と殴り合いで人類の安泰を約束されると思っているこの人は、絶対就職先を間違ってると思う。

むしろ数十年前の男子校に行って来い。

思う存分勤務し、映画でスポーツ青春がメインのB級映画でCASTとして出たら良い。

見事適役だと思う。だって、役をしなくても充分素でいけるだろうし。

その代わり怪我人続出だろうなあ、と思う今日この頃。

御堂優は今日も放課後でウキウキです。


「……いつまで座ってるの、あんた」

「あ、カサラさん」

「あ、カサラさん、じゃないのっ。ほら、訊かれた質問にはさっさと答える。いつまで座ってるの?」

「……別に座ってなくても良いんですけどね」


そう言いながら私は立ち上がる。

ううっ、この席、日差しがすっごく気持ち良いのに……。


「で、今日はどうします? クラブはありませんし、良ければ一緒に帰りましょうか?」

「うんにゃ、今日はパス。ちょっとヤボ用があってね」

「……アレを野暮用と言うんですか?」


私はドアを指差し、それを示す。

そこには、私たちを見る視線が一つ。

……私たちではなく、カサラさんを見る眼、だ。

女性。

薄っすらな茶髪のロングヘアー、両耳に同じピアス。

年の頃は私達よりも上。もし着る服さえ同じでなければ、大学生を思わせる空気を漂わせている。

……いや雰囲気はそんな優しいものでもなさそうだ。

艶かしく、ある意味妖艶な、年の幼さに似合わぬ表情を見せていた。

誘っている……そうにしか取れない。

カサラさんを……。

女である、カサラさんを。


「じゃあまた。明日ね」

「……まあ別に突っ込みはしませんけど」


同姓愛好者なのは会ってすぐに知った。

別にそんな事を隠す気はないというのか、見知らぬ相手が知ろうが威風堂々としている。

そんな相手もやっぱりそれ。性目的を持った、淫らな関係なのだろう。

人生は楽しめば勝ち。そんな持論を持つ私は責める気もないし、責める資格もない。

唯一つ思うのは、世界に拒絶された者の、その生き方がとても美しい。

湖の白鳥の様に……。


「バイバイ」

「……さようなら」


机を避け、ひらりと舞う身体。

やはり彼女は凄いと思う。

こんな凛々しく、こんな綺麗に、世界を生きるのだから……。

もう、説明すら野暮ったい。そんな気持ちさえ抱く。

…………だけど、

さっきのドアを見る。

二人はもういない。きっとどこかへ行ったのだろう。

私の想像が正しければ、行き着く果ては性への営みなんだろう。


「……彼女は……」


だけど本当に、ただ純粋なものを望んでいたのだろうか?

口にしない想いは、窓から吹き荒ぶ風にも消えず、ただ心の中でうずくまっていた。





















――――優。

優しいと言う意味。

だが、どの行動をもって優しいと言えるのであろう?

苦しい思いをする者に、手を差し伸べることが優しいと言えるのであろうか?

だがそれは甘えに繋がる。

また助けてくれるとどこかで思う軟弱な精神を持つ者に、優しさは在り得ないのだろうか?

若い内は苦労を買ってでもしろ。それとは対極の位置に存在するのではないだろうか?

曖昧なものに線引きをすること事態が間違っている。

しかしそれでも人は迷う。

これは優しさなのだろうか? そもそも優しさと言うものはなんだろうか?

昔の教師は殴ることで愛情を示すものがいた。

しかし今はそれをする事は間違っていると言う。

何が間違いなのだろうか? 殴る事が間違っているのだろうか?

優しさを伝える為の行動は、おかしい事なのだろうか?

偽善と言う言葉が多い昨今、その想いは膨らみ破裂さえしそう。

もしかすると、もう破れたのかも知れない。

時代が変わり、物は豊かになり、果たして人の心はどう変わったのだろうか?

滅びの一途を辿る様に思う者は、決して少なくはない。



















「…………」


――――目覚め。


軽い圧迫感と、暖かい温もりに包まれながら、少女はゆっくりと覚醒する。

屋根の天井は高く、木造なここは、果たしてどこなのであろう?

光がある。

失ったはずの、光が。

眩しい…………。


「気がついたか?」


声。

人がいたことに驚き、体を強張らせる。

ゆっくりと首を向かせると、男がいた。

眼は…………怖くない。

とりあえず、あいつらではない。

安堵のの息を心中で吐くと同時、疑問が浮かんだ。

この人は、誰……?


「倒れていたからここに運んだ。俺の家だ。心配なら心配でいいが、起き上がれ」

「…………」


言葉が速いが、かろうじて分かる。

疲れ果てて眠った自分を、この人が助けてくれた。

そしてここは、……彼の家、だろう。

最後に立つ事を強要している。

何をするんだろう、と疑問を抱きつつもそれを否定できる立場ではない。

それに彼はここに運んでくれた。自分を介抱してくれたのだ。

何が目的かは(漠然とながらしか)知らないが、それでも見知らぬ人間に関わる事を選んだのだ。従って置いた方がいい。

可能性を思案しつつも決断し、腹筋に力を入れて立ちあが――――


「――――っっ!」


れなかった。

身体が痛い。だが、それ以上に力が入らない。

栄養不足の為なんだろう。そう決め付ける。

幾らなんでも彼を身体が拒否している訳ではないだろう。心に真っ向から反対して。

彼を見つめて無理と伝えようと試みる。


「……ちっ。めんどくせえ」


踵を返し、奥へと進む。

――待って!

咄嗟に言おうとしたが、声が出ない。

日本語が不慣れな彼女に、すぐさま言葉を作るのは無理だった。

結局言えずじまいで、彼は去った。

どっとした脱力感。失敗した。彼の考えに応えられなかった。

不安が募る中、自分の不甲斐なさが心を占める。

どうして期待に添えられない! いざと言う時に限ってドジをする!

これからがどうなるか分からないのに!


「おいっ」

「――!?」


突然の言葉に、無意識に瞑った目を開いた。

目の前には、ついさっき去ったはずの男性。

え、なんで……?

手には長方形型の木の板。それを床にへと下ろす。

…………鍋?

蓋を取り、むわっと我先へと飛び出す蒸気。

消えた後には白い液体が……。


「粥だ。食え。栄養不足で死ぬぞ」

「……え……あ…………」


胸中は二文字の言葉で綴られていた。

何故?

自分は失敗した。それなのにこの人は何故私に慈悲を?

失敗した者はすぐさま消える。世界はそんな過酷で満ち溢れているはずなのに。


――――何故?


「……もう一回言う。日本語は理解しているはずだ。もし聞き入れなかったら殴り飛ばす。食え。話はそれからだ」


布団を上半身分剥ぎ取り、首下へと手を入れて押し上げる。

結果、体は起き上がった。


「……さあ」


鍋の中の粥を少量小皿へと移し、匙と共に渡される。

なんとか動く両手を駆使し、それを受け取った。

…………だが、食べられない。

自分には、それが……。


「ふざけた事、考えてるんじゃねえぞ」


――え?


「命令は、従っても怒られはしない。背いたら印象は悪いだろう。お前には今、命令に抗う権利は存在しない。例えどんな事情抱えていようと、今の俺には全く関係ない。どんな考えしてようが俺にとってはどうでもいい。食え。話はそれからだ。毒は入っちゃいねえ」

「――! ち、ちが・・うっ」

「…………」

「毒、入ってる……思ってない。……ただ」

「……?」

「指、器用に動かない。それと……熱くて食えない」

「…………」


はぁ? とでも言いたそうな顔に変形する。

だから、食べる事が出来なかったのだ。

恥ずかしさで顔が赤面するのが分かる。自分では食べることすら出来ない、愚の骨頂ですらある。


「……お前、馬鹿だろ」

「……馬鹿、違う」

「なら口で言え。俯いて言わなかったら、誰だってそう思うだろうが。馬鹿」


深皿をひったくる。

あっ、と呟くが、言い分を解せず彼は匙を一掬い。


「ふーっふーっ。……ほら」

「あ……?」

「さっさと食え、俺の恥を更に上塗りさせる気か」

「は、はい」


――パクリ。

塩が効いている。

込めの甘みが十二分に染み込み、


「……おいしい」

「当たり前だ。俺様が作った物に不備は有り得ん」

「……でも、塩味が効き過ぎ」

「……顔のスパイスを入れるからだ」


――涙。

しょっぱいのは、雫の塩分過多。

何故泣いているのだろう。自分の眼に塵が入ったのだろうか?

そんなはずはないのに……。こんなことは初めてだった。


「……えっく……えっ…ぇ」

「……食え」


――パクリ

やはり、塩分が多すぎる。

こんな物で、不備はないと言うのだろうか。

でも、こんなしょっぱいのに……。

凄く美味しくて、なぜか涙を流している自分はなんなのだろう。


「…………」


――パクリ


「…………」


――パクリ


「…………」


――パクリ


「…………」


――パクリ


「……終わりだ」


声に促され、霞む眼で見れば、皿に入っていた白は綺麗になくなっていた。


「……しょっぱかった」

「当たり前だ」

「でも、美味しかった」

「……当たり前だ」

「……ありがとう」

「全部食ってから言え」


彼はそう言い、幾分柔らかくなった表情でこちらを見た。

キザッたらしく吊りあがる口元。ふんっ、と言い捨てた。

涙を流す理由は分からなかったけど、一つだけ思い直せた。



鍋から取り出す彼――。

注ぎ足される白――。

霞む世界――。

ああ、こんなにも――――――――
















世界は優しかったんだ。











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