「……あ〜一本取られた感じ」

「ふふっ、たまには反撃にも出ませんと」

「そんな事言いながらあんたのおかげであたしが何回溜め息ついたのやら……。天然、是最強也(これさいきょうなり)」

「またそんな事言う〜。そんな言い方してはいけませんよっ」


指をカサラさんの額に当てて、コツンと軽く押す。


「めっ」

「…………」

「あっ、痛かったですか?」

「……絶対、あんた性別間違えてる」

「……はい?」

「だーかーらー! 絶対あんたの生まれ方間違ってるってっ。あんた染色体レベルではXXなんじゃないの?」

「なんかいきなり専門学に入りましたねぇ。……いいえ、けど違いますよ。私は男と言う事を完全に認識していますし、女の子になろうとは思ってはいませんよ」

「…………」

「な、なんですか、その意味有り気なジト目と沈黙はぁっ」

「……所属クラブは?」

「え? ……えっと、手芸部と調理部ですよ」

「じゃあ趣味は」

「趣味と言う高尚なものかは分かりませんけど……料理や編み物、それと掃除が好きですね」

「約束を破られた時に思う事は?」

「悲しい……それよりも、その人の安否が怖いです。もし何かの事故に巻き込まれたら、とか考えちゃって」

「もし大事な用事があった時に頼まれ事がされたら?」

「その用件によります。自分の用事が人との事だったら、丁重にお断りしてしまうと思います」

「この世界で最も恐れるべきことは?」

「……大切な人が、死んでしまうことです。あの、思い出が蘇る、苦しい出来事は、もうごめんです」

「……そしてほぼ全ての人間に敬語。一人称は”私”。さあここでクエスチョン。今の会話で男と思う所がどこにあると思う?」

「うっ……そ、それは〜」


思い返してみれば、確かにそれを否定する事が出来ないと思う。

ここで男だと言う人間がいたら、最初に思うはその言った人の頭の中身だ。

でも、それでも私はれっきとした男で、ちゃんと認識している(と思っている)。

それなのに、ここまで言われるのもな〜……。

勿論彼女は、冗談交じりで言ってるのだろうけど。


「ああ、もし女の子だったら絶対にどっか連れ込んでやっちゃってるのに」


……前言撤回、彼女はとても大真面目だ。

それも一番考えたくない方向の。


「でも男子校だったらと違う惜しさもあるわね〜。ここまだ8:2ぐらいだし」


……またもや前言撤回、一番はこっちだった。

幾らなんでも男とヤると言うのは寒気がする。もう一回言うが、本当に私は頭の中まで男なのだ。

そんな万感な想いを目に、表情に込めてカサラさんを凝視する。


「んっ? 如何(いかが)為したユウちゃんや。顔をむくれさせても女っぽいと言われるだけぞよ」

「もうっ、その話から離れて下さいよ〜。私はこのままで良いとは思いますけど、それでもそんなに言われると怒りますよっ」

「あっはっは。かわいいかわいい」


そんな事を言いながら、彼女は両手のひらで私のほっぺたをぽにゅっ。

怒っていると言う身振り(口振り?)の為に膨れた頬は、押された事により空気が飛び出した。

それがなんか、酷くマヌケな音に聞こえた。

ぷすぅーと言うかぷしゅーって言うか……。

その音が、もう入りきらない怒り袋にまたもや感情が詰め込まれた。既にぎゅうぎゅうになってるのに……。


「もうーーーーーっ!」


彼女のおかげで、「もうっ」の数に多大なる貢献していることは間違いない。

一ヶ月で三桁は楽に超える。

だがそんな怒りをどこに受け流しているのか、カサラさんの口元は一向に吊り下がる気配は見えなかった。

いや、むしろ笑みが深まった感さえある

この人は私を楽しんでいる様にしか見えない時が多々見られる。それが本性なんじゃないかと本気で考えることもしばしば。


「……あっ」

「うーごーくーなっ」


――でも、こうやって慈愛に満ちたような瞳で撫でることも。

やっぱり、カサラさんは分からない。まあ人の心など理解する方が無茶だと思うが。

考えつつながら怒りは霧散。無意識に顔は緩んでいった。


「……くすぐったいですぅっ」

「別にいいでしょ? 減るもんでもなしに」

「でも、なんだかシチュエーションが逆のような……」

「あたしはやだぞ、髪触られんの。何となくゾワゾワってなるから」

「期待はしてませんよ。それに恥ずかしいです」


じゃあやられんのは恥ずかしくないのか、と言う呟きは目蓋を閉じて回避する。

この気持ち良さは、恥ずかしさに勝るものだから……。

結局この残り少ない昼休みの時間、その行為によって終わったのだった。

色々あるが、お互い趣向違いな私達の、馬鹿馬鹿しくも楽しい絆は良好である。



…………まだ見ぬ破滅の時を知らずに。
































――――――――優。




それは男女隔てなく使われる、人への識別名――名前。

隠し名(※)での、やさしいやすぐれるを意味した言葉。   ※昔、人には忌み名ともう”一つの名”の二つがあり、忌み名が本当の名前で、”もう一つの名”を普段面前で使われる言葉として行なわれてきた。名前とはそれを知るだけで相手を操ると思われていたからである。ここではもう一つの名を隠し名と設定。

その者が優れていて、尚且つ万物に心優しくあって欲しいと願うが為に。

ある所に、その優を名を持つ男がいた。

今はもう昔の事。他を拒絶し、自分を拒絶した、優の隠し名に似合わぬ男の話である。




















――――鋼鉄の咆哮。


それが俺の心を駆り立てた。

それはいつも思うがままに走ろうと吼えている。

「俺を野へ、俺を道へ」、と。

ただ走る。エンジンの焼き付けるまで。

ただ行く。道の尽き果てるまで。

それを請け、俺は走る。

ただ騒ぐ心の赴くままに。

誰かの言う、全ての行き着く果て迄を、走り抜ける。

狂える断末と共に。









「…………ふーーーーーっ」


紫煙が漂う、その欠しい赤。

それを吸っては吐き出す、ジージャンの男が一人。

何が美味いのかと顔を顰めながらも、彼はその煙草を地に這わせようとはしない。

ただ吸っては吐き出し、吸っては吐き出し……。

背には大型のバイクが一台。まだ走り回ったばかりなのか、蒸気の様なものを漂わせているばかりに、煙を行く末を狂わせている。

ジジジ、と堰雑じりの街頭は、ある意味光景を神格化し、思う者によっては神と崇められたかもしれない。

しかしここには人と言う種族は彼以外存在せず、敬う者も当然居なかった。

最も、普通の者なら、最初にするべき事は他人のフリか警察への電話であろうが。

……十数分の時を終え、無意味な捨て柄は積み重ねられる程にまで上り詰めていた。

それに頃合いを着けたのか、それとも時間なのか、違う行動をし始めた。

歩き始めたのである。

ここは駐車場ではない。それなのに、だ。

後ろのバイクは、彼が唸らせたものでしかないはずなのに……。

だから法律で言う駐車違反。長い事置いておけばレッカー車に先一つの運命を辿る可能性は非常に高い。

それとも、元々そんな物に関心がないのか、盗み出した物なのかは知らないが、少なくとも今、それに興味は欠片たりとも素振りはな見せなかった。

そこからだけでも彼の性根の正邪が見分けられることであろう。

唯一つの、側面を見てだけではあるが。


「……んっ?」


突然、彼は足を止めた。

ほぼ関心を持たぬ彼にとっても、奇妙なのが見えた為だ。

例えるなら、それは…………。


「死体?」


在り得ない。

ここは曲がりくねっても民主主義戦争放棄国家日本。

紛争がお盛んな外国ならまだしも、ここでそんなのがある訳はない……そう思う。

持ち前の好奇心で根源なる恐怖に抗い、それに向かって歩みを進めた。

ダラリと伸びた四肢、目的を持たずに彷徨ったのであろうか、疲れによる体制の良い倒れ方。髪は白髪。だが、老婆のそれではない。艶のあるもので、第一四肢も幼く細き体躯をしている。

そこで傍と気がついた。幼く、細き体躯……?


「……ちっ! オヤジでもババアでもねえ、ガキじゃねえかっ」


肩を持ちその顔を拝見する。

死体と先走り、思い直しての飲んだくれとの的中もせず。

理不尽に腹を立たせるが、すぐにその想いも消え去った。


「……女か」


齢はまだ高校すら入らない頃。

どう大目に見ても中学、悪ければ小等部。

顔は普通ではありえぬほど青褪めており、素人でも危険な状態であることが分かる。

もし良心と言うものが働いて、見過ごすことの無き用を他人なら願うであろうが。

それでも打算的が一般の日本人なら、ここは見過ごすであろう。

退廃の一途を辿っているこの黄色人種は、関わるべきでない事には全く関わらないことを良しとしている。

他人事……その言葉だけであらゆる物の価値を薄れさせるのだから……。


「めんどくせえな……」


そんな彼も日本人なのだ。

面倒だから切り捨てる、それは社会での常識。

そうすべき事はたくさん在り、安泰とした人生を取るには利口であると言う説さえ築いているのだ。

世界と言うのは、孤独なスケートリンク。

どんなに転んでも、差し伸べる者は居ず、立たなければ冷たい氷に這い付くばったままなのだ。


「よっこいせ、ってか」


……けれど、彼は利口ではなく、馬鹿だった。

社会と言う者に適応しようしないからこそ、こうやって居るのだ。

大人と言う者が理解出来ぬからこそ、紫煙を吐き出していたのだ。

小さな小さな反逆。それをしたかったのだから。

……軽いはずの身体はとても重く、肩にかけてやっとと言う感じだった。

それはそうである。人は起きている間は重心制御を無意識に行なう。

出来るだけ要領良く負担を掛けぬように……。

だが生きているのがやっとの彼女に、そんな余裕はなさそうだ。

そう彼は算出し、事態の深さをより重く味わった。


「……早く行かねえとな」


そう呟き、歩みだした。

煙草から離れた時よりも速く、出来るだけ揺らさぬ様の心掛けが見受けられる。

ここだけの側面を見たら、彼の奥深き情けを垣間見たと思う者もいるだろう……。





…………彼は知る由もない。今、どんな不自由を約束されたかを。

もしもっと彼が残酷だったら、社会と言うものを認識していたら……。

彼の行く末は、違う展開を見せていたであろうに。

それを良きとも悪きとも思うは、彼のみが知る所であるが……。


それはある、街頭が咳き込み、肌寒くなってきた晩秋の夜であった。




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