小鳥のさえずりが聞こえる平和な朝。
覚めるような青空の元、目を覚ます。
日が差し込んでくる窓の外から…大声がかかる。
「なにしてんのよ!早く起きなさい!おいてくわよ!」
「…?」
俺はのろのろとカーテンを開け、外を見た。
すると、見慣れた顔が俺に向かって叫んでいる。
「もーっ!!まだなのーっ!?」
その顔…は童顔、容姿は背も低い。
おまけに、彼女の声質は高い上に可愛いかった。
つまり、そんな風に言われてもさっぱり怖くない、と。
「ほらぁ!もう八時でしょ!!」
「…起きる、起きるよ」
しかし怖くはないが、恥ずかしいから止めて欲しい。
俺は自分以外には聞こえないくらいの声で起きることを宣言した、返事、というよりは独り言に近い。
そんな今外にいる彼女。
普段常識にはうるさいくせに、こればっかりは小さい頃から変わらない。
なんにしても俺の世話を焼きたがる。
優越感でも感じてんのか、アイツは。
…と歯を磨きながら寝ぼけ頭にそんなことが浮かぶ。
「ほら!いつまで可奈ちゃん待たせてるのよ!」
お袋の怒鳴り声も飛んでくる。
あまりにも今外にいる彼女…可奈が俺のことを起こしにくるので、いつのまにか可奈も俺の保護者のようになってきている。
居間のクリームパンを掴み急いで家を飛び出す。
「もう、毎朝毎朝、しょうがないわね…」
毎日嫌なほど聞いている、このしょうがない、という言葉。
いつからか可奈の口癖になっていた。
隣で相変わらずぶつぶつ言っている可奈の言葉を聞き流しながら、俺は足の回転を速める。
隣の可奈と俺が通っているうちの学校は、当然共学制である。
海の近くにあるので少々浜風のにおいがするうちの校風は自由がうりらしい。
なので、生徒は結構やりたい放題である、その割に以外と校内は平和だが。
学校が見えるくだり道に差し掛かった所で校舎のチャイムが聞こえる。
「あー、遅刻しちゃうじゃない!もー、しょうがないわねー!」
確かにこのままのスピードだと遅刻する、ならばスピードを上げればいい。
俺は無言で可奈にめくばせすると、スピードを上げるべく、右足に力を込める。
どんどん速度は加速し、最高速度に到達…。
「あ、ちょっとぉ!!」
ガクンッ!!
世界が揺れた…のではなく俺の首が激しく上を向いただけだった。
見ると、制服の襟を掴まれてる。
「まさか、私を置いてくなんてしないわよねっ」
息も絶え絶えな彼女から物騒な言葉が全然物騒じゃなく聞こえた。
参った、これじゃ、遅刻だ。
冷静に考え直しても、どう考えても、もう先生が教室に入っている時間だ。
だって、もう可奈が歩き始めてる。
――つまり、『諦めた』ってことだ。
ドアを開けるとクラスの皆さんからはくすくす笑いが漏れ。
「重役出勤ご苦労だな」
と、一時間目担当の歴史の先生からありがたいお言葉をいただく。
「本当すいません、いつも迷惑かけて…ほら、あんたも謝りなさいよっ」
ちっこい隣の可奈に頭を掴まれて無理矢理謝さられる。
本当は俺一人なら間に合っていたのだが、逆らっても無駄ということはわかっているので素直に頭を下げる。
「まったく、尻にひかれてるな」
余計なお世話だ。
教室からも、からかうような言葉が行き交う。
まぁ、どう見ても俺たちの関係はまるで夫婦のように見えるからだ。
しかし、別に俺は可奈と付き合っているわけじゃない。
むこうは俺のことを嫌いだからだ。
「もう…」
俺を横目でぎろり、とにらむと彼女は自分の席に向かって行った。
俺もため息を一つついて、自分の席へ向かった。
…静かになった教室の壁際の席、俺は午後からの数学の時間、睡魔と必死に戦っていた。
昼飯の後の授業って言うのはなんて破壊力を持っているのだろう。
黒板の文字がゆがんで見える。
何で、俺がこんな所でシャーペンを握ってるのかわからなくなってきた、馬鹿らしい。
しかし、ここで、寝過ごしてしまっては、また恥ずかしい目にあうに決まっている。
隣の可奈にうるさくたたき起こされるに決まっている。
「こらっ!起きなさいよっ!」
…ほら、来た。
うっとおしいと思いつつも、俺は眠たい頭を振って、目の前を見直した。
「もう、待ってて寝ちゃうなんてしょうがないなぁ」
目の前には可奈がやれやれ、と言った表情で立っていた。
「…?」
おかしい、なんで隣の席の可奈が目の前にいるんだ。
確かに可奈はお節介だが、授業中にわざわざ俺を起こすため俺の目の前に来るほど常識知らずでもない。
「ほら、帰ろ、早く起きなよ」
舌足らずな可愛い声が寝起き頭に響く、ちなみにあいつは今も昔も十分幼い容姿をしている。
しかし、なんだか様子がおかしい。
「何してるの?早く、日が暮れちゃうでしょ」
ああ、そうだ。
俺は思い出した。
こいつは昔から人に謝った事がない。
…いや「人に」ではなく「俺に」だ。
どれだけ、都合の悪い事があっても決して自分のせいにしようとはしなかった。
難癖つけて、いつも最終的には俺が言いくるめられてしまうのだ。
俺はいつしか、可奈に逆らうのをあきらめていた。
確かこの日も、用事で遅くなる可奈を待っていたのだ。
そして指定時刻を遥かに越え、散々待たした挙句の言葉が先ほどの台詞だ。
…俺を無視する勢いで先に歩き出した可奈に仕方なく俺はついていった。
「…」
夕暮れ時の住宅街を二人並んで歩いていく。
いつものことだ、何故かいつのまにか俺は可奈と一緒に帰る事になっていた。
別に会話なんてめったにない、こちらから話しかけることなどないし、そうすると何故か向こうも意地になって話してこない。
こう考えるとアイツは昔から意地っ張りで素直じゃなかった。
「ねぇ、何か言いなさいよ」
…何か?
考えても、話題となるようなものは見つからなかった、と言うよりも俺は元々そういうタイプじゃないのだ。
「まったく、つまらないわねぇ」
そんな可奈の言葉を俺は右耳から左耳へ聞き流す。
いつもこんな繰り返しだ。
それでも、あの時だけは違っていた。
ある日、放課後の体育倉庫にあいつに呼び出されたのだ。
「いい?放課後体育倉庫の中で待ってなさい」
「へ?」
「わかった?絶対だからね」
なんだか命令されてばっかりだが、もう慣れてしまっていた。
慣れとは恐ろしいものだ、と体育倉庫の中でマットに横たわりながら俺は考えていた。
しかし、一時間、二時間…待てども待てども待ち人は来ない。
いつのまにか俺は寝てしまっていた。
「あれ?…今何時だ?」
目が覚めたころ、辺りは真っ暗で、どうもおかしいと思ったんだ。
「夜?…嘘だろ?!」
入り口のドアを確かめても開くわけがなかった、先生が俺に気づかずに体育倉庫の鍵を閉めてしまったんだろう。
最初は相当焦った、こんな空間に一人で残されるなど不安で仕方ない。
なんとかドアを開けようと努力したものの無駄だとわかり、途方にくれた俺は再びマットに横になった。
今日は土曜日、次に学校があるのは月曜日。
「…」
冗談じゃない、このまま丸一日閉じ込められっぱなし?
俺は慌てて奥の方を見てみたが、下のほうにある通気のための窓以外には体育用具以外何もない。
とてもじゃないが外との出入りはできなさそうだ。
ついに俺はへたへたと座り込んでしまった。
目の前にある硬く閉まった扉の上の鉄格子から見た四角い夜空を見て鳴った空腹を知らせる合図、そのお腹の音がやけに響いた気がした。
腹減ったなぁ。
今一体何時なんだろう。
親とか心配してるだろうな。
心の中に疑問が浮かんでは消える、俺はたまらなく不安になってきた。
大体どうしてこんな事になったんだろう。
「…もとはと言えば可奈のせいじゃないのか?」
慣れているとはいえ、ここまでされると俺は流石ににあいつに対しての怒りがわいてきた。
一体アイツは何してるんだろう、俺をこんな所に呼び出しておいて一体何の用だったんだろう。
鉄格子沿いに月を見上げても答えはさっぱり浮かんでこない。
「ちょっと!あんたいるの!?」
…と、突然外から叫び声が聞こえてきた。
のそりと首を動かしてドアのほうを見てみる、どうやら外に誰かいるらしい。
と言うよりも何度も聞きなれた声、間違いなく可奈だ。
俺はすぐにドアに飛んで行った。
「可奈!?」
「あんた何でこんな所に閉じ込められてるのよっ」
「え…?」
少し、胸が傷んだ、誰のせいでここにいると思ってるんだ。
「まったく、あんたのせいで皆大騒ぎよ!小学生じゃあるまいしっ」
「…」
可奈の奴、もしかして俺が呼び出したことを忘れてるんじゃないのか?
だとしたら、呼び出しておいてその態度はあまりにもひどすぎる。
「…可奈、何で俺がこんな所にいると思う?」
俺は感情を押し殺して冷静に聞いてみた。
「知らないわよもう!私まで疑われたのよ!まったく何考えてんのよっ、しょうがないわね!」
「……………」
「ちょっと、どうしたの?なんで急に黙っちゃってるのよ、ちょっと?!」
数秒か、数十秒か黙った後。
「…とりあえず、ここから、出してくれないか?」
俺はひどく冷たい声で外に呼びかけた。
「何よ、いるなら返事しなさいよ、しょうがないわね、まったくもう…で、これどうすればいいの?」
そういえば、この体育倉庫には鍵が要るのだ、俺は職員室に鍵がある、と答えた。
俺が来た時にはもちろん開いていたが。
「…もう、めんどくさいわね、しょうがない。職員室に行ってもらってくるわ」
そう言って可奈は鍵をもらいに走っていった。
待っている間にぽつり、と疑問が浮かんだ。
「どうでもいいんだよな」
あいつはいつでも俺のことをどうでもいい存在としか見てなかったのだ。
背後のマットの上に四肢を投げ出した。
今まで散々ひどい目に会っているくせにのこのこと可奈の言う事を信じて、こんな所へ来てしまったのだ。
俺はなんて馬鹿なんだ。
自分で自分が情けなくなった、それでもこの状況ではその可奈がいないと俺は助からないのだ。
「ちょっと、生きてる!?」
そんな事を考えていると、声が段々近づいてきた。
「今開けるから、そこにいなさいよ」
「いや、もう、開けなくていいや」
俺はそう言ってから、はっと気づいた。
今俺は、始めて可奈に対して拒否の意思を示したのだ。
そうだ、いつまでも従ってばかりでどうする、情けないだろ俺。
「…え?」
俺の言ってる意味が理解できなかったのだろう。
「お前は俺のことをどう思ってるんだ」
「は?何を言ってるのよ?」
「お前は俺をこんな所に呼び出しておいて、俺がこんな目にあってるのにそのまま何もなかったかのようにしてるな。一体どういうことだ?」
「はぁ?それはあんたのせいでしょ!呼び出したってどういうことよ?何勘違いしてるのよ、もう!しょうがないわね、あんたは…」
「…そうか、じゃぁ開けなくていい」
「は?」
「悪いけど、ほっといてくれ、お前なんかには助けられたくない」
自分でも何を言ってるかわからなかった。
それでも、俺はここは意地を張るべきところなんじゃないか、と思っていた。
いつまでも笑って許していたら、俺は男じゃなくなってしまう。
そんなわかるようなわからないような感情が俺の中には浮かんで消えた。
「は?…そう!それじゃ好きにしなさいよっ!!あんたなんか大っ嫌いなんだからっ!!」
可奈は思いっきりドアを蹴とばした後、どこかへ走り出していってしまった。
そして俺が後悔したのはその夜、何度目かわからない腹の虫がなった時だった。
もちろん、翌日の昼過ぎに俺は無事発見された。
それ以来、可奈とは微妙な仲である。
むこうはむこうで、そのことを忘れたかのように相変わらず世話を焼いてくるし。
俺は俺で、そんな可奈に呆れて適当に小言を聞き流しているだけだ。
向こうは俺をどう思ってるか知らないが、俺はこれ以上可奈を刺激したくないと思っている。
閉じ込められた人間を逆切れして放って置いてしまう女だ、とりあえず逆らうのも馴れ合うのもごめんだった。
だけど、それなのに俺は…。
「まったく、何してるのよ」
呆れた声が頭上で響いた。
机から頭を起こして教室の時計を見る。
するともう、放課後になっていた。
「しょうがないわね、あんたずっと寝てたのよ」
俺は、そうか、と一言答えて帰り支度を始めた。
「相変わらず、張り合いないわね」
別に事を荒げたくないだけなのだ、俺は。
「あ、そうそう、あんた放課後体育倉庫で待ってなさい」
「は?」
一言疑問を投げ返す、しかし。
「いいから、いなさい、体育倉庫の中だからね」
そう言って可奈は走り出して教室から出て行ってしまった。
どうでもいいが、もう放課後だと思うぞ、多分。
馬鹿な俺は馬鹿正直に体育倉庫前に待っていた。
もうなんかどうでもよくなってきた、好きにしてくれ可奈、早く来てくれ可奈。
と言うか早く俺の以外の男にあの意味のわからないほど世話焼きな幼馴染を頼みたい。
恋人でも作ればいいんだ、まったく。
そして日が暮れる。
案の定いつまでたっても、可奈は来ない。
俺はため息をついて、体を反転させた。
もう、待ち人が来ない事は慣れた、なんていったって二回目だから。
「あの…」
反転させた先には一人の女子生徒が立っていた。
手を前で組み、こちらを見ている。
俺は姿勢を崩さない、そのまま横を通り過ぎようとする。
「ま、待ってください」
悪いが、今そんな気分じゃないんだよ、また約束ほっぽかされてるし。
「あ、あのっ」
しかし、その女子生徒の真剣な顔を見るとちょっと考えが変わった。
ちょっと、いやかなりひどい事してるな、俺。
話ぐらい聞いてやれよ、むしろ、なんでこんな所に来てるんだ。
…まさか。
俺は少女に向き直った。
「わたしと、つきあってください」
「…」
俺はうつむいた。
「ごめんな」
「…」
「俺、好きな奴いるんだ」
それは半分本気、半分嘘の俺の本音だ。
「やっぱり、可奈ですか?」
どうやら彼女は可奈の友人らしかった、問い詰めてみると、彼女が可奈に相談した所、仲をもってくれるといってくれたらしい。
俺は苦笑した、複雑な気分だ。
大体、なんで、俺はアイツの事好きなんだよ。
今までの流れで行けばそんな訳無いだろ。
いつも、言いなりだし、約束はほっぽかされるし。
…そんな訳、ない。
…そんな訳。
…。
家に帰って、ベッドに寝転がる。
手を大の字に広げる。
…アイツ、なんでこんなことしたんだよ。
そりゃ、むこうは俺のことをなんとも思ってないかもしれないけどさ。
…。
いつだったっけな、あれ。
親父が出張中、お袋が用事があって実家に帰ってたとき、俺が高熱出してぶっ倒れたことがあった。
朝起きたら視界がぼやけてて、体がぴくりとも動かない。
なんとかベッドを抜け出して部屋を出たらそのまま足の力が抜けて床に叩きつけられた。
体が、熱かった。
声を出そうとしてても、鯉が餌を食べるような不恰好な姿にしかならない。
本能的に頭の中で俺はまずい、と思った。
どうにもこうにも、思考がまとまらない、あったのは漠然とした疲労感。
さすがに、死んだかな、と思ったら。
「遅すぎるわよ!何してるのよ!まったくしょうがないわねっ」
目の前には可奈がいた、どうやら待ちきれずに家に侵入したらしい。
ちなみにそれは犯罪だ。
「ちょっ、ちょっと!?アンタどうしたの!?」
そして犯罪者は部屋に倒れている俺を見て声を上げる。
俺は何とか、意思を伝えようとするが、相変わらず喉が完全にやられている、しゃがれ声すら出ない。
うつぶせの状態で目線だけを可奈のほうに向ける。
「…っ!すごい熱…だ、大丈夫?」
「…」
はっとした。
あの可奈にこんな表情ができたのか、心配そうに俺の顔を覗き込んでいる。
「と、とにかく、熱測らなきゃ…べ、ベッドに寝ててねっ」
「…」
悪いけど、動けないんだ。
「嘘…もしかして、動けないの!?もう、しょうがないわねっ!」
そのままベッドまで寝巻き姿で引きずられる。
われながら情けないが、地べたをはいつくばったまま身動き一つできもしない状態じゃ仕方ない。
朦朧とする意識の中、頭の下に凍り枕を引かれ、額にも氷嚢を置かれる。
冷たすぎて、逆に頭が痛い。
「…39.7度…」
隣で可奈が信じられない、と言った表情で愕然としている。
「大丈夫!?死んでないわよね!」
「…叫ばなくても聞こえる」
ようやく少しマシになった喉から必死に声を絞る。
「…いいから、お前は早く学校に行けよ、遅刻するだろ」
「何言ってんのよ!こんなになってるあんたを置いていくほど私は悪人じゃないわよ!」
体育倉庫の中で俺に一夜を明かさせたのは誰だ。
…なんて皮肉を言うほどまだ体力は回復してなかった。
「う…」
「あっ!?大丈夫!?」
再び意識が朦朧としてきた、まずい、これじゃ心配させるだけだ。
「もう、おばさんもおじさんもいない時に限って…!と、とりあえずおかゆ作ってあげるから!おかゆ!」
ついでに、スポーツドリンクも頼む…と言ったつもりだったのだが。
届かなかったのか無視したのか俺の言葉に無反応でドタバタと下の階にあるキッチンへ降りていく。
頼むからあんまりドタドタさせるな、頭に響く…。
数分後可奈が戻ってきた。
「大丈夫?食べれる?」
必死に上体を起こすが、どうにもままならない。
脳みそもほどよくシェイクされている感覚だ。
さじを握っても、震えていておかゆを鼻の穴に突っ込みそうな勢いだった。
「しょ、しょうがないわね…」
不意に俺の手からさじがとられる。
「ふー、ふー」
湯気が出ているおかゆを必死に冷ます可奈。
…まさか。
「ほら、口開けなさいよ」
…冗談じゃない!
「…自分で食べれる」
「何ムキになってんのよ、スプーンすら握れないくせに」
悔しいが、間違ってない。
「まったく、しょうがないから、ほら、口あけて」
ご、拷問だ…。
…。
「まったく、あんた本当に私がいないと駄目ね」
「…」
「…寝ちゃった?…もう、馬鹿」
「…」
「素直じゃないな私も、本当はいつまでも、こんな関係が続くといいんだけどな…」
確かに、そう聞こえた。
寝ぼけた頭にはその言葉が繰り返しリピートされた。
こんな関係、つかず離れず、友達以上恋人未満。
そんな不安定な隙間を漂う二人。
…俺は…。
「ちょっと!」
寝ぼけた思考は母親の声によって中断された。
「あんた、可奈ちゃん知らないかい?」
「可奈…?さぁ、約束すっぽかされてから知らない」
「そう、どうしたのかしら…」
「何かあったのか?」
「もう八時だって言うのにまだ家に帰ってないらしいのよ、そんなに悪い子じゃないから…心配ねぇ何かあったのかしら」
「…」
俺は制服を着替えると、玄関に飛び出した。
「ちょっと、どこ行くの?」
「散歩」
そっけなく答えると俺は走り出した。
暗くなった校舎には、塀を乗り越えて侵入する。
夜の学校と言うのはいつの時代も不気味なものだ、黒い巨大な影が雄大にそびえて立っている。
歩いていく、あの約束をすっぽかされた場所まで。
そして、体育倉庫のドアを叩いてみる。
「…」
聞こえる、小さな息遣い。
「いるんだろ、可奈」
「…」
「いるんだろ、返事くらいしろよ」
「何で」
「ん?」
「何でふったの?」
「…見てたのか?」
「ここにいてたわよ、ずっと」
だからこんなところにいるのか、お前は。
「顔も可愛いし、いい子だよ、あんたなんかにはもったいないよ」
「そうだな、すげえラッキーだよな」
「じゃあなんで…?」
「だからかな」
「…!!…馬鹿…!」
厚い鉄製のドア越しの会話。
気持ちのキャッチボールは遮られている気がした。
「ばかぁ…あんたが、そんなんだからぁ、わたしも変なこと考えちゃうんじゃない…!もう、…しょうがないなぁ…」
わずかに、泣き声が混じる。
鼻をすする音、しゃっくり。
「何で、ここに、いるってわかったの…」
「さぁ、何でだろな。同じ事、昔あったよな」
「…あ、あの時は…」
言葉が詰まる。
「…ごめん、なさい」
「え…お、おい、可奈?!」
あ、あの可奈が謝った!?
「あの時、私本当に忘れてて、私、そんなことも忘れて、ひどいこと言っちゃって…」
「今更、だよな、お前」
「…顔、見れないからいえるんだけど…ね」
顔見れないからって言いたい放題かよ。
今なら、顔もお互いに見えない状態なら素直に言えるって?ふざけんなよ。
「…ごめんなさい」
でも、もういいよ、慣れちまった。
「いいよ、もう。それより早くそこから出してやるから待ってろよ」
本当、今更謝っても遅い。
「待って!!」
声で止められた。
「……わたし、わたしね!出たら…ここから出たら、あんたの顔見てさっきと同じ事言えるように頑張るよ」
…まあ、無理だろそれは。
「…いや、もう一つ、条件をつける」
「へ?」
「出たら、あの俺が閉じ込められた時、なんで放課後に待たせたか。理由を言ってくれ」
結局こうなるんだ、ちょっとはあのときの仕返しをする事を考えろよ、でもやらない俺は駄目人間だ。
可奈の返事が返ってくる前に早足で職員室に向かって歩き出す。
少し出てきた時のあいつに期待しながら呟いた。
「早く行かないとな」
こうしてはいられない