「うげー」
冒頭から済まないが、死にそうだ。
まずい、腹痛ぇ。
こんなに長い距離を走っていれば当たり前なのだが。
吐き気もする、…そうか、酸素が足りないんだ。
相変わらず見えてくるのは同じ風景だし。
喉はからからで息も絶え絶えだし…。
正直、飽きてきた。
「こらー!足止まってるぞ!」
前ではメガネをかけた小さな女の子が必死に怒鳴っている、無情にも死にかけている俺に向って。
いやん、待ってよ、俺超必死ですよ、森川さん。
もう駄目です、足が棒のように重い、重い。
「あ」
こけっ。
ズシャァー。
「ちょっ!石田君ー!?」
前方に石発見…って気づくの遅いか。
がくり。
バトンタッチ
……。
…。
大体クラス対抗リレーになんでこんなに気合を入れるのかが俺にはよく分からない。
必死に走っていたのには訳がある。
実はもうすぐ運動会があって、俺はそのメンバーに見事選ばれたのだ。
全然嬉しくないが、選ばれた以上は負けられないと、放課後に練習する事になったのだ、ああ、なんてだるい事を…。
時間の浪費だ!若い時は短くて大人になってから後悔するんだぞ!?
…………塾を休むにはいい口実だけどさ。
「はい、消毒終わり、後はばんそうこう張っとけば大丈夫でしょ」
そう言って、そっけなく笑う目の前の彼女、随分とアバウトだな、おい。
つい先日のホームルーム。
一週間後に控えた運動会に備えて、出場するメンバーを決めなければならないのだが、お約束と言うかなんと言うか、この女子一人、男子一人がそれぞれ出場する、クラス対抗リレーというのは残ってしまうのである。
と、いうのもこのクラス対抗リレー、なんと順位次第で逆転できてしまうものであるからである。
つまりは、責任重大、転倒でもしようものならリンチ決定という恐ろしいものである。
さらに恐ろしい事に拍車をかけるのが。
「みんな!今回の運動会は気合入れていくよ!」
「「「「おおー!」」」」
以上に盛り上がってるクラスメイト達と、人一倍負けん気が強い、学級委員長の森川智子だ。
この森川、人を乗せるのがうまい上にそういうイベントのものにはめっぽう燃える何ともうっとおしいキャラだ。
文化祭の時も、音楽祭の時も、なぜかテストのクラス平均もそうだ。
俺はというと、その委員長さんとは真逆の性格であるから困ったものなのである。
その度…イベントの度に俺ばかり怒られてしまうのだ。
…話を元に戻そう。
大体クラス対抗リレーなんてものは、足の速い奴が率先的に選ばれるものなのだ。
「はーい!石田君がいいと思います!
「俺もー!」
「一番足速いし!」
…みんな大嫌いだっ!
そう、俺は不幸な事にこのクラスで一番足が速いのだ。
それをいい事に他の男子はここぞとばかりに俺を押してくる。
「よし、じゃあ石田君で決まり!」
じ、冗談じゃない。
「じゃあ私も立候補するよ!」
見れば反対側の席に手を上げているものが一名。
見慣れためがね姿の委員長のその声と共に、クラス中が盛り上がる。
「今回は私が一緒にいてあげるから、石田君にはきーーーーっちりしてもらうからね」
うっ、毎回毎回こういうイベントごとには手を抜いていた事はバレバレのようだ。
「それじゃぁ、早速今日から放課後練習ねっ」
笑顔でそんなことをほざく委員長のメガネの奥に俺は恐怖を感じた。
「先生、多数の悪です、このまま少数の正義を見すてていいんですか」
俺はなにかと多数決は駄目じゃん的なセリフを吐きつつ、現状の不満を担任のティーチャーに訴える。
「いい機会じゃないか、それになぁ…このままじゃお前は内申が低すぎる、しっかりやってこい、頑張ったら上げてやるから」
先生にまで見捨てられた俺のその後の道は、速攻放課後の練習への一直線となった。
「それじゃみんな!頑張っていこうーー!!」
「おおおーーー!!」
…頑張らなくていいでーす。
そんなこんなで放課後特訓一日目。
冒頭の通りいきなりグラウンド二十週なんて無茶な距離を走らされて十二週目にして路傍の石に激しく転倒した俺は保健室に直行。
つまり、そんな訳で場面は戻るのである。
「…で、なんで先生がいないんだよ」
膝のばんそうこうをさすりながら俺は委員長に聞いてみる。
「私に聞かれても困るよ」
なぜか保健の先生がいない保健室で委員長に手当てを受ける俺。
はっ!放課後の保健室で二人っきり?このしちゅえーしょんは…。
「さ、早速続きいくわよー」
そんなくだらない妄想が頭に浮かんだ瞬間、グラウンドに飛び出していってしまう委員長。
「…若者は元気じゃのー」
愚痴の一つも口から飛び出すのもしょうがない、アイツに恋愛性を求めた俺が馬鹿だったか。
のろのろとベッドから立ち上がると、ゆっくりと委員長の後を追ってグラウンドに歩いていった。
「…あのさ委員長」
「なに石田君」
「お前はいいよなー、すわって声かけるだけだもんな」
「女子は300M走ればいいもの」
「男子だって400Mだ、100Mしか違わない」
「知ってるわよ」
「じゃなんで俺だけグラウンド二十週なんだよーっ!!!」
先ほどの続きを爆走してる俺は、疑問を暗がりが広がる空に叫び倒した。
「あんたに気合を入れなおすのー!」
なんだ、この熱血学園ドラマ風な雰囲気は、一番性に合わないじゃないかー…。
…しゃべるのも嫌になってきた俺はもくもくと走りきったのだ。
素直に走る俺も、俺か…。
ん?…走りきった?
気づけば委員長の周回カウントは二十になっていた。
「おお、俺走りきったぞ?スゲーくない?」
「じゃ、明日からはわたしも一緒に走るね」
「…それだけ?」
まるで、戦場から舞い戻ってきたくらいのすばらしさをすぐさま否定する、目の前のメガネっ娘。。
「すごいすごい」
この女…。
「あ、もうこんな時間?それじゃ、わたし家の手伝いがあるから帰るねー、バイバイっ」
そそくさと委員長は帰っていってしまった。
校舎の時計は六時、とっくに下校時間だ。
「いや、足腰が動かないんですが」
誰に突っ込んで良いものか、とりあえず今の体の状態を説明していた、誰にだ。
グラウンドに倒れこんだ俺は、砂を払う気力さえ残されていない。
その後立ち上がれたのは七時過ぎだった…合掌。
翌日。
「筋肉痛で死にそうなんだよ」
「へぇ、そうか」
「筋肉痛で死にそうなんだよ」
「五秒おきに言うなよ」
隣の席の奴に愚痴をマシンガンのように叩きつける。
ちなみに俺の隣の奴とは、友人のK氏だ。
「神田って言えよ」
「足のだるさでそれどころじゃないんだ」
関係ないけど。
「うん?なんか騒がしくないか?」
ざわざわ。
クラスメイトの連中どもは一目散に廊下にかけていく。
「また4組の奴とうちの委員長がケンカしてるのか?」
「なんであんなに血気盛んなんですかうちの委員長は」
もたれる足を引きずりながらも、教室の後のドアから廊下に出ると、叫び声と怒号が聞こえてくる。
「今回も4組が勝つに決まってるですことよ!」
「今のうちにせいぜい言っときなよ!」
4組の委員長とまた言い争ってるみたいだ。
4組の委員長…成田−みんなはお嬢と呼んでいる−とうちの委員長は犬猿の仲で、成田のいでたちはどこからどうみてもお嬢様スタイルなのだ。
茶髪のたてロールで整った顔だち、側に4組の男子どもを何名か携えている。
彼らはお嬢側近隊として上のクラスには馬鹿にされ、下のクラスには尊敬の眼差しで見られている。
最も本人達はお嬢に忠信を誓っためずらしいくらい男らしい奴だが…。
…某作品のお蝶婦人を髣髴とさせる…って学校にそんなふりふりの私服を着て来なさんな。
「ええい!今回はうちの隠し兵器を使うんだからなっ」
対してうちの委員長は男女と言うか、粗雑と言うか、よーく見るとメガネの下の素顔は可愛いのに男勝りで豪快で…。
「石田君っ!こっち来て!」
…はい、俺様ご指名でーす、悪口の罰が当たったみたいだな。
「なんですかその顔色の悪いのは」
失敬な、アンタみたいなお嬢様スタイルの奴に言われたくない。
「これがうちの隠し兵器、石田君だ!」
ウチのクラスがなぜか盛り上がる。
なんで盛り上がるんだよ。
「おーほっほっほ!そんな貧弱な男でなにができると言うんですか?菅原!菅原でてきなさい!」
「はっ、ここに」
お嬢の側近の一名、坊主でやたらと筋肉質な男が立ち上がる。
側にいるならでてきなさいって言わなくていいんじゃないのか?
「菅原は市民大会で賞をとるくらいの強者!その貧弱な男程度に勝てるものですか」
「お言葉ですが、お嬢様、勝てるどころではありません、話になりませんな」
む…ムカつく事ぬかす野郎だ、しかし、この顔は校内新聞でも市の新聞でも見たことある。
「く、くそーっ!」
わざとらしいくらい悔しがる委員長とウチのクラス。
なんだ、これ?劇か?劇やってんのか?
「石田君もなにか言い返せよ!」
「はぁ…」
筋肉痛で朝から不機嫌な俺は適当な相槌を打つことくらいしかできない。
「ふん!だらしのない!3の組オチこぼれというところか?…森川さん、こんな男を隠し兵器というようじゃ三組の底力も知れたものですな!はーっはっはっは!」
ガシィッ。
俺はふざけたことをほざく菅原とか言う奴のポロシャツの襟を掴む。
「調子んのってんじゃねぇぞ」
一瞬で学園ドラマが血なまぐさい現実に引き戻される。
超がつくぐらいの殺気をこめて野郎を睨みつける。
俺は怒ったら怖いぞぉ〜今のうちに謝っとけ。
「う…威勢だけは良いようだな」
まだいうか、この野郎。
一発ぶちのめして出場停止にしてやる。
「石田君やめろっ!」
後から制止の声が聞こえた。
振り向くと委員長が俺を睨みつけていた。
「…」
委員長をにらみつける。
「うっ…」
ひるむ委員長、あの、そんなに俺怖いっすか?
「ここまで好き勝手言わせて放っとくのはムカついてしゃーねーんですが」
「当日にぎゃふんと言わせればいいの!」
「…ぎゃふんて…」
今時ぎゃふんですか委員長。
しらけた俺は野郎の襟を放してやった。
「ごほごほごほっ!…おのれ!」
「ふん、暴力なんて汚らわしいですわね、紳士なら紳士らしく…」
「顔めちゃにされて病院に行きたいか」
だから、今日は不機嫌って言ってるでしょうが。
つまんねーこと言うと何するかわからんっすよ?
「うっ…」
お嬢が俺にひるむと同時にそばの側近達が同時に立ち上がる。
ひぃ、ふぅ、みぃ…六人はまずいか。
お嬢はさっきとはうって変わって勝ち誇った顔を威張らせている。
「…ちっ」
「どうしたんですの?」
俺がひるんでいると勘違いして、お嬢は見下すように見てくる、いや、俺が言いたいのはそんなことじゃなくて。
「…チャイムだ」
キーンコーンカーンコーン。
「おらー、早く教室はいれー。授業始めるぞ」
授業開始の合図を告げる校舎の鐘が勇ましく鳴り響くと、それを待ちわびていたように教師が廊下の向こうから階段を上がってくる。
「石田といったか、この借りは返すぞ」
「言ってろ」
パコン!
廊下に出っ放しだった俺は先生に日誌ではたかれてしまった。
「石田、早く入れって言ってんだろ」
「…はい」
大人しく従っておこう。
…しかし、これでちょっとはやる気も出てきたと言うものだ、あんのむかつく野郎の鼻をあかさないと気が済まない。
そして放課後。
「ひぃひぃ…」
今日は俺はグラウンド五週と短距離ダッシュ、はっ!何て楽なんだ!
「はぁはぁ…」
昨日の二十週に比べたらこんなもん軽い軽い。
ちなみに…上の息遣いは俺のものではない。
「もうだめ〜」
委員長のである。
「っていうか、委員長体力ないな意外と」
「石田君が体力ありすぎるの!」
「なんてったって昨日委員長に死ぬほど走らされたもんな〜」
「…うっ、根に持ってる?」
「持ってるわけ無いじゃないか」
晴れ渡る青空に負けんばかりの爽やかな笑顔で俺は話しかけてやる。
「…本当?」
「あたりまえだ。さぁ、続き行こう!後100周な」
「持ってるじゃない〜っ!」
聞こえないね。
………。
……。
…。
「はい、3セット終わり」
「ばてばて〜…」
「ま、これだけやっときゃ300mなんて軽いだろ委員長」
「もう歩けない…」
人の話聞けよ。
委員長はばてばてでグラウンドに突っ伏していた。
「ああーっ!!」
急に大声を出す委員長、びっくりだっつの。
「どうしたんだよ」
「わ、わたし家の手伝いしなくちゃ!」
「い、家の手伝い?」
そーいや昨日も言ってたっけ…。
ちょうど校舎の時計は、昨日と同じ六時を指している。
「うわ〜足がくがく、歩けない…どうしよう!?」
「…」
いい気味だ、昨日の俺の気分がよくわかっただろ?
そんなちょっとした満足感を得ても、今の委員長のうろたえぶりを見ると、満足感は吹っ飛んでしまった。
「は、早く帰らないと…」
側に落ちてた木の枝で年寄りのようにして歩いていく委員長。
…みてらんねーっす、とかいい人を気取ってみる。
「委員長、リュック持ってろ」
「え?石田君?」
「おぶってやっから」
「ええ!?い、いいよぉ!?」
急に赤面する委員長。
そ、そんな態度とられるとこっちが恥ずかしくなるでしょうが。
「早くしろ、急いでるんだろ」
「うん…ご、ごめん」
そろそろと俺の背中にのっかる委員長。
「お、重くない?」
「重い、つぶれそうだ、何食ってんすか委員長」
ぼかっ。
俺の頭をはたいてくる委員長。
「失礼ね!」
「冗談だよ」
その方が委員長らしい。
「とりあえずまっすぐ行って」
「了解っす」
人に見つかるといろいろとめんどくさいので、とりあえずは人通りが少ない道を選んだ方が無難だな…。
十分後。
「…定食もりかわ」
「ありがと、石田君」
定食もりかわ…初耳だ、おい。
「まさか、家が飲食店だとは…」
「おい智子か〜?」
ドアを開けると、店の中からドスのきいた低い声が聞こえてくる。
「うん、お父さんただいま〜」
「おう、お帰り!」
おお、スキンヘッドに白いエプロン。
ずいぶんとガラの悪い…いや迫力のあるお父さんですね、委員長。
「えっと、そっちは?」
「クラスメイトの石田君。ここまで…」
言葉に詰まる委員長、さすがに言い出せないだろう。
「暗くて危ないので送ってきました」
「おお、そうか、石田君…だっけか?まぁお茶でも出そうじゃないか!」
「い、いえ…」
「お父さん、お家の人心配するよ」
「あ、それもそうだな」
「あ、いえ…帰っても一人なんで…ちょっとだけいます」
仕事帰りの男性達の野球チームを応援する声、すこし賑わいを見せる店内、天井の隅にあるテレビ、独特のにおい、定食屋というか居酒屋って感じだ。
それでも、悪いどころかすごくいい雰囲気なのはお客さんと店長の仲がいいからなのだろうか。
しばらくすると、カウンターで店長と明日の野球チームの先発予想をしていた親父達も勘定を払って店の外に出て行った。
「お疲れ様です」
まだ、店内にはお客がいたが、とりあえずは一段落着いただろう親父さんに一声かける。
「おお、いいのか石田君帰らなくて」
「いいんです、一人でいても寂しいし」
「親御さんは?」
「遅くまで帰りません」
「じゃぁ、飯は?」
「それからです」
「はー、大変なんだな」
「森川さんこそ、忙しそうですね、一人娘ですか?」
「智子はいい子だよ…よく働いてくれるし、心配なのは俺に似ちまった事かな、なんだか男らしくなっちゃって…」
委員長は先ほども常連の人と楽しそうに会話していた。
明るい声と、表情、見ている人に元気を与えそうな人柄は学校と変わってはいない。
「一人で森川さんを育てたんですか?」
俺はカウンターから見える位牌を見ながら言った。
「ああ、アイツはあの子を生んですぐに死んでしまってね」
「それで、手伝いしてるんですか?」
「智子なりに何か手伝おうとしてくれてるんだろうね…」
「お父さん、マサさん達来たよー!」
工事現場の人だろうか、作業服にヘルメットをぶら下げた大柄の男たちが大勢入ってきた。
「おうっ!待ってろ!」
よく言われるよ。
「それじゃ、俺もそろそろお暇します」
「お、すまねぇな、気をつけて帰れよ」
「石田君ばいば〜い」
「ああ、じゃあな」
「なんだい?智子ちゃん彼氏?」
「おいおい、中々カッコイイ旦那さんじゃないか」
「そ、そんなんじゃないよっ!」
そんな会話を背中に俺は暗いアスファルトへ飛び出していった。
委員長の知らない一面を見れた気がしてちょっと嬉しかったのかもしれない。
賑やかな店内で忙しそうに働く委員長はほほえましく思えた。
練習三日目。
「バトンタッチの練習をしよう」
委員長がいきなりそんな事を言い出した。
「バトンタッチくらい簡単なんじゃ…」
「バトンタッチは大事だよ!」
言葉を遮られてしまった。
「過去のオリンピックでも幾度と無く…」
その後二十分近く委員長のバトンタッチに対するうんちくが続く。
「わかった?!」
「はいはい」
「流すな!」
そんな感じでバトンタッチの練習をしてみる。
俺は委員長に向って走っていき右手に持ったバトンを相手…委員長の右手に渡す…ってあら?
「よーし!」
「ちょ、ちょっと待てよ委員長」
「何?」
今の何かおかしくなかったか?
「右手から右手って…普通委員長は左手出すんじゃないの?」
「え?だってわたし左利きじゃないよ」
ガクッ。
「あのなぁ…だから右手から右手渡すより右手から左手に渡す方が楽だし、早くなるだろ?」
「じゃあ、石田君左手に持ってよ」
「はぁ?委員長が左手でもらえばいいだけじゃないか」
「だってわたし左手じゃ受け取りにくいよ、昔からそうやってきたもん」
「わがままだなぁ…」
「なっ!わがままだって?」
「わがままじゃないか、左手で受け止めにくいなら練習すれば言いだけの話だろ」
「なっ、なっ、い、石田君だって!」
しまった、言いすぎた。
後悔先立たずとは言ったものだ、些細な事から亀裂は入る、委員長は黙ってしまった。
他に言い方はあっただろうに…しかし、先ほどあれだけバトンタッチのことを言ってた割りにそんなことを言い出した委員長にあきれたのも事実だ。
「今日はもう帰る!一人で練習するから!!」
委員長は俺に怒鳴って、一人校門から走り出していってしまった。
「…はぁ、まずったな」
しかし、あんな些細な事で怒るとは。
女心はわからん。
「あら?仲間割れですの?」
どこから現れたのか、いつのまにか俺の後ろにお嬢…とその取り巻きが立っていた。
「なんだ、見てたのか?」
「おほほ、仲間割れなんて…やっぱり今回もわたくしの勝ちでしょうかねぇ?」
高笑いを上げながら、右手を口に添えるお嬢、その仕草が上品です。
「やはり、話にならんようだな?」
ゆらりと、お嬢の取り巻きの一人が立ち上がる、菅原だ。
相変わらず、自信たっぷりって感じですな、兄ちゃん。
「リレーとは一人でできるものではない、二人の息がバラバラだとやはりその速度は減速す「そういえば四組の女子は誰が出んだよお嬢」
俺はムカつく菅原の言葉を遮ってお嬢に聞いてやった。
「貴様、人の話を最後まで…!」
「わたくしですわよ、やはり、わたくしが出ないと始まりませんもの」
「なんじゃそりゃ、とても運動ができるようには見えないけどね」
「貴様!お嬢様を何だと思ってるのだ!?」
取り巻きが全員立ち上がる。
「お嬢様は容姿端麗」
「文武両道」
「質実剛健」
「美人薄命」
「焼肉定食」
「そういうことだ」
…待て、最後二つは関係ないんじゃないか?
「お嬢様は幼少の頃より帝王学を学ばんとして、全ての事物において完璧を誇っておられるのだ!」
「ほほほ、菅原、あまり自慢するものではありませんことよ」
そんなこと言っても、嬉しそうっすよ、お嬢。
そういえば、文化祭の時は天才的な演技だったし、音楽祭の時はプロもびっくりのバイオリンの演奏をしてたようなしてなかったような…。
ま、どうでもいい。
「そうか、ま、どうでもいいや。用がないなら帰れ、俺は練習する」
「今更、特訓か?ふふ、無駄無駄、この私に勝てると思っているのか?」
ガシィ。
いい加減にしなさい、そんなに自信たっぷりだと嫌われますよ?
昨日と同じように菅原の服を掴む。
「もういいからしゃべんな、うぜぇ」
「くっ…」
「わかったら、死ね」
「かふっ」
ああ、言いたいこと言うとすっきりですわ、奥様。
「…ふん、勝負で叶わないなら暴力か?情けない男だ」
「バカですか?俺が負けるわけ無いでしょうが」
「ふ?ははははは!何を言っているんだ、私は中学からスカウトもかかる…」
野郎の足を思い切り踏んづける。
「俺が負けないっつったら負けないんだよ、静かにしないと、その唇全部そぎ落とすぞ」
…うう、俺って口悪いね。
「…うぐ…ふん、せいぜい頑張るんだな」
「行きますわよ、菅原」
これ以上俺に関わると危険だと思ったのか、お嬢と菅原はそそくさと逃げていった。
俺としてはさっきの菅原の言葉がずっと引っかかっていた。
「バトンタッチ、か…」
確かに大切なものだ、今考えたら、どっちの手で取ろうが、あいつらに勝てればいいんじゃないか。
「委員長に悪いこと言っちまったな…」
さすがに言葉が過ぎた、明日あって謝ろう。
俺、別にそういうのに大してプライドないし…これ以上あの菅原にでかい顔されるのもしゃくだ。
「とりあえず、走りこむだけ走りこんでやる」
俺は地面を蹴って、グラウンドを走り出した。
畜生、今回はなんだか本気を出してちゃう気になってきたぞ。
俺は六時になるまで必死にダッシュを繰り返した。
それでも、やっぱり委員長がなんでバトンタッチであそこまで怒ったのかわからなかった。
四日目。
朝から委員長の態度は全開で悪かった。
同じメンバーだと言うのに、半端なく俺のことを避けてる気がする。
っていうか、俺のほうから謝ろうとしても避けられる。
こんな事してる場合じゃないんだけどな…。
「なんかお前委員長に嫌われる事でもしたのか?」
「なんじゃK氏」
「だから俺は神田だって」
K氏から呆れられながら突っ込まれる。
「突っ込まれる…エロいな」
「何言ってんだお前は」
「いや、そんなことはどうでもいいんだ」
俺は再び委員長の席へと特攻を仕掛けてみる。
すると、急に思い出したように女子トイレに駆け込む委員長。
「よし、K氏、入って呼び出して来い」
「お前、俺に死ねっていってんのか」
まさか、しかし、こうも避けられると、ちょっと辛いものがあるな。
いわゆる、こっちも怒りがこみ上げてくると言う奴だ。
「けっ、向こうがその気ならこっちもその気だ、一人で練習してやるよ」
「なんで棒読みなんだよ」
実際はそんなこと思ってないからさ。
放課後。
やっぱりだるい、一人だと、だるい。
走る気がまるでない俺は校門にもたれかかって憂いていた。
「なんだかんだ委員長が引っ張っててくれたもんなぁ」
そう、無理矢理でもなんでも委員長が俺を引っ張っててくれたのは事実だ、ヤル気がでないのも仕方が無い…。
でも。
「やっぱ、練習するべぇや」
いつ委員長と和解してもいいように、今のうちに最大限の努力はしとかないと…。
俺は再びグラウンドを蹴っ飛ばして、前を向きなおした。
五日目。
相変わらず進展なし、か。
運動会は明後日なのに、このままじゃ…。
今日も一人で放課後のグラウンドに立つ。
やはり、委員長の姿は見えない。
しゃぁねぇ、一人で走るか。
…と、その時。
「なんだかんだ言ってちゃんとやってるじゃないか」
「K氏!」
「だから神田だっつってんだろ」
隣に並んで疾走しているのは言わずと知れたK氏である。
「だから神田だって」
「それはわかってるが、どうしてお前がここに」
「…がんばってんじゃん?お前、前まであんだけヤル気なかったのによ、ちょっと見直したぜ」
「…かもな」
「なんだそりゃ、ま、俺も手伝ってやるよ、委員長がいないんならバトンの練習もできんだろう?」
「ありがたい」
俺は早速そこら辺に落ちている枝を拾った。
「ん」
「ああ」
とりあえず、バトンタッチだ。
俺は神田の右手にゆっくりと枝を渡した。
そして、前日。
ついに、委員長は来なかった。
毎日毎日放課後になると声をかけようにも人知れず消えていってしまうのだ。
と言うわけで、今日も隣の神田との練習、このままじゃ、当日どうしろってんだ。
リハーサルもなしに、やってられっか。
「委員長、来なかったなぁ」
「…ああ」
夕暮れの西空を見上げてみる。
明日の今頃はリレーも終わってる頃だ。
「あ、悪いな、石田…俺塾だからそろそろ帰るよ」
「ん?ああ、それじゃな」
神田はそう言うと、校門に向かって申し訳なさそうに走っていった。
「…委員長、どうするんだよ」
「練習、するの」
「え?!」
振り向くとそこには。
「…」
「委員長」
が、たっていた。
「…何やってたんだよ」
「…」
問い詰めても、委員長は何も言わず、左手を突き出した。
「…左手で取れるようにしたから」
「え?」
「れ、練習してたの!…左手で、取るの慣れてないから、最初は落としてばっかりだったから」
うつむいて左手を差し出したまま、委員長は顔を上げようとはしなかった。
「やっぱり、バトンタッチしたかったから」
こんな時に、こんな時に言うのもなんだけどさ。
しおらしい委員長って、可愛いかも。
なんて、思ってしまった。
「ごめんな」
「え?」
「いやさ、俺も言いすぎたからさ…」
「え?え?お、怒ってないの?」
「へ?いや、俺ずっと謝ろうと思ってたんだけど、何回も避けられたから、怒ってたのかなってさ」
「ええーっ、わ、私は石田君が怒ってるとばっかり思ってたから…」
二人で、顔を見合わせる。
「「勘違い?」」
偶然にも声が重なってしまった。
「は、ははは。随分くだらない事で時間を無駄にしたもんだ」
乾いた笑いが妙に虚しく聞こえてくる。
「く、くだらないって!そっちが先に…!」
「なんだよ、委員長が訳のわからないことをいいだすから…」
「「…」」
「やめよう、馬鹿らしい」
「そうだね、それじゃ、練習しようよ!」
「練習?何言ってんだよ、もうすぐお前働く時間じゃないのか?」
校舎の時計はもうすぐ、六時をさそうとしていた。
「今日は、お父さんが許してくれたの」
「…でも、もう外も暗いし」
と、俺が空を見上げると、右手に暖かい感覚を覚えた。
見ると、委員長が俺の右手を子供のように掴んでいた。
「…送ってくれるよね」
俺はそっぽをむいて、やれやれ、とかぶりをふった。
でも委員長の手を振り払えなかったし、向こうも離す様なそぶりを見せなかったので、しばらくはそのままでいてしまった。
俺の顔が赤くなっていたのは気づかれなかったかな、なんてくだらないことも考えていた。
当日。
体操服というのは、かねてから胸に抱いていた思いがある。
「ださいぜ…ふぁ…」
眠気を振り払って、クラスカラーの鉢巻を巻く。
「なんだ?あくびか?まさか、昨日楽しみにしてて眠れなかったとか…」
「んな訳ないだろ」
あくびをかみ殺して神田に軽く突っ込むと、だるい体を起こして、いすに座り込んだ。
「体操服とか鉢巻って、なんか気合入るよね!」
女子のグループで会話している委員長は俺とまったく反対の意見のようだ。
「みんな、頑張ろうね!…ふぁ…」
「智ちゃん眠そうだね…」
「え?そ、そうかなぁ?」
メガネの奥ではちょっと涙ぐんでいた。
「楽しみで寝れなかったの?」
「う、うん…それもあるけど、ね」
…寝れなかったのか委員長は。
「ね…ってなになに?!智ちゃん顔赤いよ〜!」
「べ、別に、なんでもないったら!…ふぁ」
実は、あの後10時近くまで公園で練習してしまったのだ…結局一週間フル稼働した俺は、疲労と筋肉痛で睡眠が不足していた。
「…」
気づけば、横でK氏がすごい顔で笑っている。
「神田だっての!…なんだぁお前ら、そろって寝不足か?」
にやにやとすごい顔ですごい事をほめのかすことを言ってくれる、ムカつくから。
「…死ね」
と一言、ぶつけてやると、眠気が再び襲ってきた。
「畜生、出番まで、一眠りしてやろうか…」
「ま、いいんじゃないか?どうせ、お前の出番一番最後だしな、頑張れよ代表」
「そうだぜ、俺のこの両足にお前らの命運がかかってんだ、敬え、土下座プリーズ」
「馬鹿かお前」
「なら、言うな」
俺は先ほどの神田の名案をいかすため、一つでかいあくびをかまして、委員長のところに向った。
「よぉ、委員長」
「い、石田君?ど、どうしたの?!」
「なに〜?智ちゃん顔赤いよ〜?」
「ち、違うよ!…で、何かな?」
「俺、出番まで屋上で寝るから昼休み来たら起こしてくれ」
「え!?」
「それじゃ」
俺は、そのまま、ふらふらと教室を出て行った。
「…階段で転ばなきゃいいけど」
「相変わらずね石田君、協調性ゼロ」
「そんなことないよ、石田君…本当は頑張る人だから」
「…およよ、智ちゃん、どうしちゃったのかな?」
「いつも毎回毎回、石田君にはお冠なのに」
「え、え、いやその…」
「今回も、どうせ、ヤル気なんか全然なくてリレーでも負けるんじゃないの?」
「そんなこと…「アイツはそんな奴じゃないよ」
「…か、神田君?」
「毎日練習してんだよ、体ボロボロになるまでよ」
「うん、石田君今回は頑張ってるもん…」
「へぇ、智ちゃん、随分お熱ですねぇ」
「え?え?…そ、その」
「智ちゃんさ、もしかして…」
「なななな、何言ってるのよっ!」
「…そんなわけ…ないよね」
プログラムは次々と消化されていく。
案の定、こういうイベントごとには気合の入っているうちのクラスと四組との一騎打ちとなった。
みんな、他のクラスとは目の色が違うのだ。
午前を終わって、点数は三点差で相手のクラスがリードしていた。
「うぅ〜〜!…やっぱり、騎馬戦で負けたのがきついなぁ…」
この学校では騎馬戦は午前最大のイベントであって、点数配分も随分大きい、それを落としたのは随分と痛い。
「大丈夫だよ智ちゃん!午後から頑張ろう!」
「そうだぜ、委員長!リレーがあるじゃねぇか!」
「うん、そうだね!みんな!まだまだ気合入れていくわよ!」
「「「「おおーっ!!!」」」」
「…随分と威勢のよろしい事ですわね」
振り向けば、背後にわけのわからんヒラヒラが一杯ついた明らかに改造だと思われる体操服をつけた…。
「「「お嬢!」」」
「おーっほっほっほ!」
今時誰がするんだという高笑いを浮かべながら、得点ボードを指差す。
「ま、当然の結果ですわね!」
「なんですって!」
「あらあら、見たところ、リレーに参加する人がお見えにならないようですが…」
取り巻きの一人、菅原が立ち上がる。
「ふん、やはりこの俺に恐れをなしたか?」
「そんな訳ないじゃない!」
「…そうだよ、石田の奴どうなったんだよ」
ふいに、クラスの人から声が上がる。
「石田君、朝からいないのよね」
「屋上で寝てるみたいよ?」
「寝てる?ったくアイツはぁ…」
「まったく、最低ー」
「み、みんな、待ってよ!私!起こしてくるから!」
「やめなよ、智ちゃん、ヤル気の無い人はほっとけばいいの」
「でも…」
「行ってこいって、委員長」
「神田君」
「今行かないと、あいつの今までの苦労、全部無駄になっちまうから」
「…うん!」
そう言って、委員長は屋上へと走っていく。
「…なんだか、クサイドラマみたいになっちまったなぁ」
「ふん、まぁ主役きどりもそこまでだ…」
菅原は背中を見せて、自分のクラスへと歩いていった。
「…リレーで叩き潰せば、そこまでの話よ」
流れる雲を見ている。
どうもコンクリートの床は体に合わないみたいだ、さっきから、体が痛くて仕方がない。
今頃、うちのクラスはどうなってるんだろうか、四組と競っているのだろうか。
最後くらい頑張ってもばちは当たらないだろう。
「気合入れていくか」
立ち上がろうとするとバン、と勢いよく扉が開いた。
「石田君!」
「委員長」
言いつけ通り起こしに来たか、えらいえらい。
「石田君!起きて起きて起きて!」
そのまま、俺の体操服をぶんぶんと揺さぶる。
「ちょ、ちょっと、激しすぎるぜ」
「もう!石田君がいないから皆怒ってるよ!」
「い、いや、俺は屋上で寝ると最初に言っただろうが」
「あ、う、うん、そ、そうなんだけど…」
何だか先ほどから委員長の様子がおかしい、顔は赤いし、何だか寂しそうな、怒っているような微妙な表情をしている。
「みんな、石田君のこと間違って見てるよ、本当は石田君すごく頑張ってるのに…」
なんだ、そんなことか。
俺は委員長の頭に軽く右手を載せて、髪の毛をかき回してやる。
「わ、わわわ、石田君?」
「別に、委員長が責められてるんじゃないだろ?委員長が気にすること無い、優しいんだな」
「わ、そ、そそそそんなことないっ、ないないっ!」
手を振り乱して急に顔が沸騰する、ポストもびっくりの顔色だ。
「お、起こしたからね!早く下に降りてきてよ!」
そう言って、逃げ出そうとする委員長の手を俺はすかさずつかんだ。
「何逃げてんだ、一緒に行こうぜ?俺も一人じゃ寂しいっす」
「え?え?!…う、うん、わかった…」
何だか委員長の表情を見てると、とても興味深い。
恥ずかしいのか、嬉しいのか、焦ってるのか、どうしたらいいのかわからないように、こちらを見上げてくる。
俺は、行こうぜ、と先に階段を降りていった。
「ま、待ってよ!…あっ―――!」
うしろで、声がしたのは一瞬だった、足を踏み外したらしい委員長が俺に向かってくる、いや、まっ逆さまに落ちてくる。
どさぁっ!!
何を思ったのか、とっさに委員長をかばっていた、段差が少ないところで良かった、もしも、一番上から転げ落ちていたら二人ともただでは…。
「…」
ただでは…。
「い、石田君…」
冷静に今の状況を分析してみよう、委員長をかばったまま抱きしめた俺の体勢は委員長を上から押さえつける形になっている。
し、しまった、これじゃまるで俺が委員長を襲ってるみたいじゃないか。
「…あ」
「…む」
吐息が感じられるほどの距離、もう少しでも口を近づければ、触れ合ってしまう。
それでも、委員長は俺から離れようとしなかった。
それどころか、目を閉じて…。
「…委員長」
「…うん」
「悪いが、先に行ってくれ」
「…え?」
委員長も俺の異変に気づいたのだろう、俺は青ざめた顔に先ほどからびっしりと脂汗をかいていた。
「頼む、先に、行け」
口に出すのも必死だった、成る程、やっぱり「ただではすまなかった」みたいだ。
「…大丈夫?も、もしかしてさっき私をかばったときに…!」
「いいから早く行けっ!!」
自分でも、こんな大声を出したのは久しぶりだったかもしれない、いいんだ、早く行け委員長、お願いだからそんな泣きそうな、心配そうな顔を見せないでくれ。
「俺は、もうちょっと屋上で休んでいくから…」
「駄目だよ!保健室行かないと、折れてたら…!」
俺は立ち上がると屋上への階段を手すりを持ちながら必死に登っていった。
「折れてたら歩けないだろうが、俺は歩ける」
「で、でも…すごいはれてるよ右足…」
「いいから、午後の応援合戦で主役はるんだろ?」
「…へ?し、知ってたの?」
「…」
しまった、余計な口をたたいてしまったか。
「俺は大丈夫、絶対間に合わせるから、な」
痛みをこらえて笑顔を作ってみせる。
しまった、痛みでしかめると逆に不自然か。
「みんな待ってんだろ、お前がいなくちゃ始まらないんだろ」
俺は、屋上の扉を閉めた。
大きな鉄製の扉を閉める音は扉の向こうの委員長の言葉をかき消してくれた。
…そのままずるずると扉にもたれたままその場に座り込む。
「…ぐ…」
畜生、結構重症みたいだ。
さっき無理して階段を登ったのが悪かったか、段々足だけでなく頭も痛くなってきた、気分も悪い。
今まで散々いじめてきた足が悲鳴を上げたのかもしれない、見て見ないことにはわからないが、足の痙攣はまだ止まりそうにない。
こんなケガ保健室に行けば間違いなく、リレー出場は止められるだろう…。
そんなことになったら今までの苦労は無駄になるし、言い方は悪いがあの菅原は悔しいがかなり早い、正直体育の走りを見てる限りじゃ、太刀打ちできないだろう。
「…知らないうちに俺もムキになってるか」
みんなと一緒に協力して物事をとりくむ、と言うのは気分の悪いものではないみたいだ、…たまにやるから、だと思うが。
委員長の気持ちが少しわかった気がした。
ズキリ。
「…!」
言いようもない痛みが襲う、しばらくのた打ち回った後。
「やばいかもしれないな…」
誰にでもなく一人呟いた呟きは、目の前のコンクリートに消えていった。
午後の部は応援合戦から始まる、これもまた重要な競技であり、点数の配分も大きい。
残念ながらうちのクラスは一人欠員と言う事で、多大なる痛手をうけてしまった、仕方ない、協力して行うクラスの応援に一人でも足りなければ、信頼点は低い。
「くそ、石田の奴がでてればなぁ…」
「今さらだろ、もともと来ないつもりで練習してたんだし」
「あ…」
委員長の顔が少しだけ歪む、悲しい怒り、とでも言うのが正しいのだろうか。
本当は石田君来るつもりだったのに。
「まだ、現れないのかあやつは」
菅原が委員長のほうを見て言った。
「恐れをなしたのじゃありませんの?朝から一度も顔を見ていませんもの、家に閉じこもってふるえてるのことですよ」
「…見損なったぞ…まぁ私とお嬢様のコンビに勝てるものはおりませんと思いますが」
時間は着々と最終競技に向けて近づいている。
クラス対抗リレーに種目が近づくにつれ、みんなの不安と焦燥感が目に見えてくる。
石田はどこだ?みんなの思いは一つだった。
『クラス対抗リレーに出場する人は集まってください』
場内アナウンスがかかる。
「智ちゃん!頑張ってね!」
「今のところはまだ、点差は離されてないからリレーの結果次第じゃ逆転できるよ!」
「うん!」
「でも、石田の奴結局来なかったなぁ」
「…でも集合場所にいるかもしれないぜ?」
「それもそうか、その方がアイツらしいな」
「…石田君」
委員長はぽつり、と屋上の方を見て呟いた。
「やっぱり、いないよね…」
「ふむ、何かあったのかな?」
代走の神田を隣に、委員長はきょろきょろと辺りを見回していた。
『石田君、石田君、クラス対抗リレー出場場所に集合してください』
「子供じゃあるまいし…アイツもわかってるだろうに、何で来ないんだ?」
「…私の、せいだ」
「え?」
「…石田君!私をかばってケガして!それで…」
「何か、あったのか?」
「…さっき昼休み屋上に行ったとき…」
委員長は事の成り行きを神田に話した。
「そうか、そんなことがあったのか」
「どうしよう、どうしよう…」
「あいつが大丈夫って言うなら大丈夫だろ」
「でも…すごい青い顔してたし、汗だって…」
「委員長、普通ならとっとと保健室行ってるって。アイツもそこまで馬鹿じゃないだろ、っていうかそんな奴じゃないだろ」
「…そうだよね、保健室、行ってくれてるよね…」
『出場選手はトラックに並んでください』
ついに、トラックに選手達が並んでも、石田はその姿を見せなかった。
「やはり、逃げたか」
菅原は鉢巻を締めなおして、姿も見ずに神田にそう言い捨てた。
「そうだな、普通なら逃げるよな、プレッシャーかかるし」
「…む」
「だりぃし、怖いし、やってらんねぇよな」
「…貴様!」
「だけど、今回だけは出血大サービスだ、この野郎。一回くらい無茶しても罰は当たんねーって」
「石田!!」
「石田君!!」
いつのまにか、神田の変わりに石田が地面に座り込んでいた。
「逃げたんじゃなかったのか?」
「逃げたいね、すんげー逃げたい、足痛いしやってらんないしさ」
「…そ、その足…!お前、負傷しているのか?」
「ん、蚊にさされた」
「何を!その腫れ、靭帯損傷もしくは骨にヒビがはいっているか」
「うるせーよ」
俺は右拳を菅原の前に突き出した。
「トラックに並んだら後にはひけないだろうが」
「…いい心意気だ!」
そして、反対側…向こう側のウチのクラスから大声援が起こる。
なんだ、いい気分じゃないか。
すんげー悪くない。
『トラックの選手は位置についてください』
「手加減はしないぞ」
「じゃあ俺は手加減してやるよ」
『よーい』
「「行くぞ!!」」
パァン!!と空砲がグラウンドに鳴り響いた。
一瞬送れて、ワァー!という歓声がグラウンド中に響き渡る。
二歩前には菅原がいる、やっぱ早いなコイツ、口だけじゃないみたいだ。
そのまま全速力で第一コーナーを曲がる、俺ら以外の代表はもう振り切った。
400Mはグラウンド二週、スタミナ持つかな…。
なんて事を考えてるうちに第二コーナーにさしかかる。
全ての意識を足に、目の前の敵に集中させる。
「怪我人のわりにっ、よくっ、走るじゃないかっ!」
「ぬかせ、ボケっ、早く、終わりたいんだよ、俺は!」
走りながらケンカを売りあうという器用な事をしながら直線をひた走る、走る。
第3コーナー、今だ歩幅二歩分離されている、これが中々追いつけない、なぜなら相手のスピードが段々速くなっていっているからだ。
心の中で悪態をつくも時間が止まるわけじゃない、肺の中の空気を全て入れ替えるつもりで息を吐きながら、懸命に走る。
「石田!頑張れー!!」
どこからか、いや、ウチのクラスからかそんな声がかかる。
「石田君!頑張って!!」
「石田ー!!」
…等、声が聞こえる。
何だそりゃ、皆さっきまで俺に文句言ってたんじゃないのか?現金な奴らめ、でも、そんな現金な奴らが大好きだ。
俺は声援を追い風に加速した、いや足の回転を速めた。
「!」
「手加減、してやるって、言っただろうが!!!!」
ワァァァァ!!
追いつく、いや追いついた!外側のコースを走っている分不利だが、今の直線俺と菅原は併走していた。
大げさなほどにバトンを持った手をふりまくる。
「ハァ、今からが、ハァ、本気、だ、多分な!」
「ハァ、ぐ、おのれ!!」
今時「おのれ」なんていう奴いたのかよ!
そんなどうでもいい事を考えてでも現実逃避したかった、息が、息が、苦しい、肺が、胸が釘で打たれてるみたいに痛い!
何してんだ俺は、今更こんなことにムキになる奴じゃないだろうが、それなら何で走ってんだ、こんな苦しい思いしてまでさぁ…。
不意に視界に委員長の姿が映る。
手を組んで、めをぎゅっとつぶってて、神頼みでもしてるんだろうか。
よし、俺も神頼みしてみよう。
ワァーーーッ!!!
「なっ!」
「んっ!?」
あ、抜いて、いや抜いた!やった菅原を抜いてやったぜ!
神頼み、してみるもんだ!!
ワァァァ!!!
歓声はやまない、そのまま二週目に突入する、…む?
「…重たっ」
急に足に鉛を載せられた気がする、駄目だ、明らかにスタミナ切れちまった。
すぐに菅原に並ばれる。
「ハァハァ!」
耳を傾けても荒い息遣いしか聞こえない、もう会話をする余裕もないみたいだ、無論、俺もだが。
段々視界が白くなってくる、足元と相手しか見えなくなる、今どこだ?第四コーナーか?
ワァァー!!!!
ふと隣の姿が見えなくなる、少しづつ離されてる。
にゃろー、やっぱ早いじゃねーか。
最後の直線らしい、大分先の方にバトンを渡す相手が見える。
…バトンを渡す相手、ね。
委員長が、泣きそうな目で俺を見ていた、いや、何か恐ろしいものを見てるような、そんな感じ?
…うん?
さっきの歓声からまったく声がやんでいる、何だか知らないけどとても静かだ。
「いやぁぁーー!!」
トラックの外にいた女生徒が大声をあげる、大声と言うか悲鳴か?
その時ズキリ、と足元に痛みが走る、いやそんな生易しいものじゃない。
しかし、叫びを上げようにも、喉はカラカラで、結局俺にできることは走ることだけみたいだ。
「石田君!頑張って!!」
委員長の声を皮切りにグラウンド中がまるでスタジアムのように揺れる。
歓声が飛び交う、まるでマラソンの選手を応援してるみたいだ…なんだこりゃ、青春ドラマか?よせよせ、そんなにおちぶれちゃいないぜ。
俺は歯を食いしばって、右足を踏みだした、すると段々菅原の姿が近づいてくる、まさかコイツもスタミナ切れか?
並ぶ、両選手への声援が大きくなる、これただの運動会だろうがよ、と言う突っ込みは終わってからにしよう、今はこの襲い掛かる激痛から逃れるために、委員長の元に向かわなくては。
隣も俺も息が荒い、よく「後は気力の勝負」と言われるが、そんなこと言われたら俺みたいな根性無しは確実に負けるから、そこは「後は運の勝負」としておこう。
委員長の姿が見える、必死に俺に声をかけてるみたいだが、何を言っているか脳が正常に判断してくれない。
「うるせぇ、早く手出せ」
と自分で言ったつもりだ、この際言葉は選んでられないし、実際にそう言ったのかどうかは、今はわからない。
早く手を出せ手を出せ手を出せ。
必死に念じてみるが、俺はテレパシーなんか使えないから無駄だけどさ。
でも通じたらしく、委員長は手を差しだしてきた。
「左手」を。
そして、右手を委員長の左手に重ねる、後は頼んだぜ。
「バトンタッチだ」
渡した瞬間に俺は地面をごろごろと転がって、仰向けになった、途端にクラスメイトが集まってくる。
「石田!大丈夫か!」
「石田君、しっかりして!誰か早く保健の先生よんできてよ!!」
何を大騒ぎしとるんだ、疲れて倒れてるだけじゃないか、と口パクしたが伝わらない、当たり前だ。
周りは結構パニックに陥ってるらしく、みんな慌てている、先生までも。
一体どうしたんだろうか、俺はさっきから感覚がなくなっている右足に目を傾けた。
…俺の右足は土ぼこりと砂と、多量の赤色が…。
「あ、赤色?…なんだこりゃ?」
グラウンドを見ると転々と落ちている黒い跡。
ま、まさか…俺の、血?
そう思った瞬間に意識が遠のいた。
最後に見たのは、ゴールして、俺に駆け寄る委員長だった。
「やっぱ、やるんじゃなかったなぁ…」
清潔な天井を見つめながら、何回目かわからない愚痴をこぼす。
あの後。
骨がずれたまま揺らしたから折れた骨が膝を突き破って多量出血を起こしたのだ、何で走れたかは俺にもわからん。
実はあの時、靴の中に画鋲を入れて走っていたのだ、他の痛みがあれば、中和されるだろうと思っていたのだが、もっと痛かった。
すぐに病院に運ばれて、足の矯正手術、喜ばしい事に後遺症はないようだ。
ま、それはいいのだが…。
「こんなに食えるわけないだろうが」
クラスメイトはとってもクラスメイト思いだった。
毎日毎日ご丁寧にお見舞いに来るもんだから、そこの棚の上は籠は果物だらけになってしまった、「これが本当のフルーツバスケットだ」なんてギャグも思いつくぐらいに、だ。
「そして、ここにもクラスメイト思いが一人」
うっとおしく天井からぶら下げられた右足を見ながら、客人の方を見る。
「何よ、せっかく来てあげたのに」
委員長はふてくされた顔でメガネを直した。
「毎日見てれば感謝の気持ちも薄くなる」
「もう、せっかくちょっと見直したと思ったのに」
実際委員長は暇なのか、連日学校が終われば俺の入院している病院へ直行してくれる。
…本当はちょっと嬉しかったりする、無論口には出さないが。
「しかし、みんな手のひら返したみたいに俺のことほめやがって」
「だってすごいよ、骨折してたのに全速力で400Mを駆け抜けたんだもん、みんなも石田君のこと見直したって言ってた」
「見直さんでよろしい、本当はあの時俺校門から逃げようと思ってたんだよ」
「ふふ」
何がおかしいのか委員長は口にて当ててお嬢のようにお上品に笑った。
「足引きずって、必死でトラックまで来た人が言うセリフじゃないよね」
「…」
どうも、かなり急いでた様子を見られたらしい。
「素直じゃないなぁ」
何が嬉しいのか委員長はそう言って俺の顔を覗き込んできた。
「…うるせー」
恥ずかしくなって、俺は顔を背けてしまった。
「…」
「…」
二人とも黙り込んでしまう。
「あの、さ」
不意に、委員長が真剣な…いやちょっと語りかけるような口調で切り出した。
「本当はね、ゴールすれば私の気持ちを伝えるつもりだったんだ…」
聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声で、ぽそりと、呟いた委員長のその言葉を、俺はあえて聞こえてないふりをした。
「…だから、今度は私がバトンタッチしようと思って」
バッグの中からごそごそと薄汚れたあのバトンを取り出す委員長。
「…呆れた、何持ってやがんだ」
「い、いいの!このバトンじゃなきゃ駄目なの!…だから、私のバトンをね」
…なんだこの雰囲気は、まるで…。
「受け取って…」
まるで。
「欲し「押すなって!!」
「わわ、駄目だよ今いいところなんだから!」
「でもこれ以上押すと扉が!」
バターン。
勢いよく流れ込んできた、クラスメイト思いのクラスメイトは、本当にクラスメイト思いだった。
「あ、あはは…」
「いや〜面目ない」
「み、見てた?」
声が笑ってるが顔は笑っていない、俺は委員長のメガネの奥に悪魔を見た。
「と、智ちゃん顔が怖いよ〜!」
「お、お邪魔しましたぁ〜!」
「ば、ばかぁ〜〜〜〜!!!!」
そのままドタバタと部屋を飛び出していくクラスメイトと委員長。
…。
「…病院内では静かにしましょう」
俺の腹の上に放り出されたバトンを持ち上げてみる。
「ま、あの時の俺よりはバトンを渡す相手は近いと思うけどさ」
俺は頭を腕に組んで、バトンタッチした時の委員長の手の柔らかさを思い出して、思わずにやけてしまった。
「バトン、ターッチ」