ここでこうして、一人で映像を見ている。
静かで暗い空間の中に声と音楽とだけが静かに響き渡り始めた。
随分昔に自分で作った映画が、何の記念かは忘れたが、再上演されることになったのだ。
一応チェックのためにも、自分一人で映画館を貸しきってその映画を見ている。
色々なCMの後に薄汚れた映像が現れたる、色あせてセピア色になりつつあるフィルムがカタカタと動く。
スクリーンに大きく文字が現れた。



『RE:REVIVAL』



 物語は主人公が事故に遭遇するところから始まる。
海辺の道を居眠り運転のトラックが駆け抜けていく。
そして横を歩いていくヒロインにトラックは逸れていき、それを目撃した主人公がヒロインをかばって事故にあう。
「なんて陳腐な脚本だ」
薄くなった頭髪をかきながら初老の男が呟く、服装の割に言葉遣いの節々から粗暴さが見て取れる。
「面白くもなんともねぇ」
だが言葉とは裏腹に表情は明るかった。
映画は最初コメディや歴史物ばかりだった、しかしこのようにこうしてトレンディドラマのような映画を最初に作り出したのがこの初老の男だ。
恋なんて女々しいと馬鹿にされていた恋愛ものの物語を誰も映画として撮ろうとしなかった。
だがいつだって破天荒で、決め付けるのが大嫌いな映画監督はそれに待ったをかけた、誰もやらないことだからこそ、やった時の評価は大きい。
たとえその時認められなかったとしても、後に大きくそれは評価される。
いまやドラマといえば恋愛ドラマ、それに映画もラブストーリーものが多い、現在の映画の状況を改めて思い出して男…映画監督はニヤリと口の端をゆがめた。
この脚本は陳腐ではあるが、当時何も無いゼロの状態から生んだストーリーだ、まずは普通の恋愛を描こうとした監督の気持ちが陳腐さ、シンプルさ、単純な恋愛映画につながったのである。

 「そ、そんな、私のせいで…」
いつの間にか、スクリーンの場面は変わっていた。
病院の廊下から一歩足を踏み入れた病室、そこには前進を包帯でぐるぐるに巻かれ、足を天井からつりさげている人のようなものが存在した。
そしてヒロインの少女が事故にあった主人公の青年を見て、愕然として腰が砕ける。
力なくその場に座り込むその演技は当時にしては大変素晴らしいものだった。
監督は、この映画を撮る為に当時出演者にぴったりの役者を探して全国の舞台を見て回ったという、このヒロインも当時無名だったがその演技力に監督は感心しここに大抜擢。
決してルックスが良いわけでない、太い眉に、頬にはそばかす服装は決して高貴とはいえないワンピース、だがそれが良かった。
その普通らしさがこの映画の家庭的な温かさを作り出していた、美しいばかりが女の可愛さではない。
その後、少女は大女優への道を駆け上る。
「ごめんなさい、ごめんなさいっ」
涙を流しながらぼろぼろ、とベッドで眠る青年に頭を下げる。
「……え?何が」
そこで青年は何事も無かったように目を覚ます。
うっすらと開いた目をぱちぱちと瞬かせ、少女の顔を確認する。
昭和の匂いを感じさせる抑揚の無い青年の声が雰囲気とあいまって見事にマッチしていた。
この主人公の青年も少女と同じように監督が探してきた男である。
「あ、ああ」
次はうれし泣きで涙を流す少女、目薬を使っていたとはいえここまでリアルに『涙』を使い分ける事に出来るヒロインが当時どれだけいただろうか。
「え、えっと、君はあのときの…」
「は、はい、あなたに命を助けていただいた者です」
「ああっ」
青年は気づいたように体を突然起こすが、痛みが走ったのか、無言のままゆっくりとそのまま体制を元に戻す。
「だ、大丈夫ですか?」
「あ、あは、へ、平気平気」
「そうですか、良かった……」
少女は心の底から嬉しそうに息を吐く、主人公はすでにヒロインに見とれていた、青年の目線でそれはわかる。
「え、えと、私、広中祥子って言います。その、先日のことで今日はお見舞いに来ました」
「あ、俺の名前は片岡聡史って言うんだ。あれ?その果物は?」
少女の片手には果物が入ったバスケットが握られていた。
「こ、こんなに、た、高いんじゃないのかい?」
「ううん、私家が果物屋で……」
そこから先は主人公と少女のたわいも無い話が続く、最初映画が公開された時はこんな恥ずかしいもの見てられるか、と男の客のほとんどが退場した。
監督が映画をとり続けられたのは、この脚本をひどく第三者の目で冷静に見たからだ、ある意味男の客たちが恥ずかしく思うのは狙い通りと思えた。
「足、治りますよね」

 舞台は変わって、聡史が病院の廊下を松葉杖をついてゆっくりと歩く所だった。
そこに少女がやってくる、少女、祥子にとって通院は日課となっていた。
「こ、こんにちは」
決まって昼の一時に、少し照れたような緊張したような面持ちで病室の前に来る。
「こんちは」
ひょこひょこ、とぎこちない歩き方ではあるが主人公は確実に祥子に近づいていく。
「ま、こんな所で話すのもなんだし、部屋に入ってよ」
祥子もまたぎこちなく笑うと、聡史に続いて部屋に入る。
そこからはいつもように果物の皮をむいて青年にそれを渡す。
「順調に治ってるみたいですね」
「うん、そうだね。最初見たときはちょっと血の気が引いたけど、全治二ヶ月だっていうから驚いたよ。もっとかかるかと思った」
「ニヶ月ですか…もうすぐ退院ですね」
少し寂しそうに、そう言う。
祥子にとって聡史といるこの時間はひどく心地よかった、しかし青年のケガが治ってしまえばその時間は失われてしまう。
「そうだね、まぁ退院したからといってもすぐに全快な訳じゃないけど」
無言で頷く祥子。
それを合図に二人の会話がとぎれてしまった、気まずく思った祥子はすぐに話題を変えることにした。
「あ、あの聡史さんは、以前何をなされてたんですか?」
「俺?前は大学生、結構足も速くてさ陸上部で長距離とか走ってた」
そこで祥子の目が大きく開かれる。
「じゃ、じゃあ、こんなケガしたんじゃ」
声は震えていた、祥子という少女はひどく責任感が強く、自分自身に責任を背負うようなキャラと設定していた、この場面も祥子は自分のせいで、と強く自分を責めるような表情を役者に頼んだ。
それはほぼ監督の思惑通り、映像として残った。
「ああ、いいんだ。最近はずっとスランプでさ。随分前から部活動もいってなかったし、それでもまだ悩んでたんだけど…」
そこで言葉をきって自嘲気味に笑う。
「ある意味今回のケガは俺に、もう走るのは止めろ、っていう神様からのメッセージだったかもしれない」
「そんなことありませんっ」
「へ?」
あまりの祥子の大きな声に聡史は一瞬固まってしまった。
「あ、えと、その」
そのまま祥子も固まってしまう。
「……祥子さんは優しいね。でもさ、無理だよ、この足じゃもう」
「……そんな」
祥子の呟きが静かな病室に響いた。
「祥子さんのせいじゃない、気にしないでよ」
「そんな、そんな、私、わたしっ」
ぽろぽろ、と涙をこぼす少女。
次の瞬間に聡史は祥子を抱きしめていた。
「祥子さんのせいじゃない、せいじゃないよ」
誰のせいでもない、と聡史は静かに呟いた。

 その後も祥子は聡史が退院するまでずっと病室に通い続けた。
その度に気づかされる、本当は聡史がまだ走るのを諦めきれていない事を。
それに気づいたのは、リハビリで廊下を歩いていた時に出会った看護婦が、掲示板にあるポスターをはっていたことだった。
「あれ、看護婦さん、これは」
聡史がそれに気づいて看護婦の肩の上からそれを覗き込む。
そして聡史の表情が固まった。
「か、片岡さん?」
「どうしたの聡史さん?」
慌てて祥子も看護婦が張ったポスターを覗く。
それは『第三十八回、市民マラソン大会』と書かれていた。
慌てて聡史の顔を振り返ると、聡史は呆然とした表情でそこに立ち尽くしていた。
画面上にカットで入る、走る人達の姿、そして高校から陸上部へ推薦入学した聡史の過去。
諦めたつもりだった、忘れたつもりだった、しかしこれがきっかけで聡史は走ることを思い出してしまう。
夜に、気づけば松葉杖を放り出して必死に走ろうとしていたが、すぐにこけてしまう。
誰もいない病室で一人聡史は泣き濡れた。
退院の日。
聡史は浮かない表情で病院の玄関を出る、そこのすぐ目の前に祥子が立っていた。
「しょ、祥子さん?」
「あのね、聡史さん」
そう言って、肩から下げたバッグたから何かを取り出した。
それは、あのポスターだった。
「これは」
「諦めないで。走りたいんでしょ」
「祥子さん……」
「私、応援するから、リハビリでもなんでも応援するから」
聡史は少しの沈黙の後、うん、と短く頷いた。

 それからスクリーンにはダイジェストのように二人のリハビリシーンや練習シーンが流される。
映画というのはいいところだけを写しているもので、その間もしこの話が現実なら二人の間には色々な苦労があったはずだろうに、この映画ではわずか三分で聡史はまともにジョギングできるようにまで回復していた。
海岸沿いの道を軽く走る、その横を自転車がぴたりと並んで併走する。
「すごいすごい聡史さんっ、もう10キロは走ってるよっ」
「はぁ、はぁ、え、もう、そんなに?」
「少し休憩しよう、あんまり走りすぎても駄目だし」
「あ、はぁ、はぁ、うん」
軽く開けた所で足を止める、両手をひざについて呼吸を整える。
その後足を叩いても、痙攣や麻痺などはない、もうほぼ完治したようだ。
「ふぅ」
「はい、聡史さん」
祥子が自転車から降りて、水筒を渡してくれた。
中身は冷たい麦茶だった、思わず一気に飲み干してします。
「くはー」
「あはは、おじいさんじゃないんだから」
その言葉に苦笑してしまう。
体の汗をタオルで軽くぬぐうと、海辺の風が爽やかに吹き抜けた。
「あ、ここって」
何かに気づいたように聡史は指である場所を指した。
「俺と祥子さんが出会ったところだよね」
そこはひしゃげたガードレール、削れたコンクリートなど、まだ事故の後が生々しく残っていた。
「出会った、というか」
「嫌な出会い方したなぁ、よく考えると」
「あ、ごめんなさい」
「謝らなくてもいいよ、すぐに謝るのは祥子さんの悪い癖だな」
「うん」
「今まで色々ありがとう」
「うん」
「あのさ、もしよければさ」
「うん」
「これからも、俺と……」
「……うん」
祥子はまた涙を流していた、随分と涙もろい女の子。
そこが見る人をひきつけたのだろうか、後々の世にもいまだこの女の子の記憶はこの映画を見た人の脳裏にやきついている。
二人はそこで抱き合って、恋人になった。

 マラソン大会の当日。
それはかかげられた看板や人々の多さでわかる。
半ばお祭りほどの騒ぎらしく、随分と賑やかなイベントになっている。
映像には聡史はおらず、ゴールとかかれた旗の下で立っている祥子の姿だけが写されている。
両手を胸の前にもったタオルで握り締め、必死な形相で見えない道の向こう側を見続けている。
本当は時間の都合でレースの途中は省略したのだが、一位、二位とどんどん人々がゴールに飛び込んでくる。
十位を過ぎてもまだ聡史の姿は見えない。
そして、二十二人目の選手がゴールに飛び込んだとき、その選手がもらした。
「最初めちゃめちゃ速かった奴がいたんだけどさ、なんか途中で倒れてたぞ」
「―――!」
祥子の脳裏に一番嫌なシーンが映し出される。
急いで走って彼の元に向かおうとしたが、それを必死に押し留める。
聡史は、祥子に「ゴールで待っててくれ、絶対にゴールするから」と言った。
彼がそう言ったなら信じなければならない。
祥子は祈るような気持ちで待ち続けた。
しかし、五十人、百人、とゴールしても彼の姿は無かった。
それから十分後に、これ以上はタイプアップだ、と大会の終了が告げられた。
徐々に片付けられていく機材の数々、そして祥子にも係員がもう終わりだよ、と告げる。
でも、祥子はそこに立ち続けた。
地面に気の某を使って自分でゴール、と書いた。
夕暮れになって、夜になっても彼は来なかった。
―――やっぱり、駄目だったのかな。
祥子は呟いた。
でも例え途中で倒れて病院に運ばれても、きっと聡史のことは責めはしないだろう。
もう一度挑戦してもらいたい。
十時を回って、祥子はようやくゴール地点を後にした。
その時だった。
何か足音が聞こえた。
「……ぁ」
振り向いた先に見える、人影。
「……!しょ、祥子!?」
向こう側から随分と聞きなれた声が聞こえてきた。
「さ、聡史さん…」
落ちていた木の棒を杖代わりにして、片足を引きずるようにして歩きながら、ゆっくりゆっくりだが聡史はゴールへとたどり着こうとしていた。
「…ど、どうして」
その言葉を唇でふさいだ。
「ずっと、待ってましたから」
「そっか…」
「ゴール、後ちょっとですね」
「うん」
「片岡聡史、陸上選手として復活、の瞬間ですね」
ここでスタッフロールが流れ始める。
「それはどうかわからないけど」
「とにかく、後ちょっとでゴールですよ」
祥子が引いた地面に描かれた手作りのゴール。
そこに聡史が足を踏み入れた瞬間に画面は暗転する。
これで映画は終わりだ。

 「オチがつまらん」
監督はスタッフロールが流れ続ける画面に対してぼやいた。
本当は二人の恋も一度とぎれさせて復活させるつもりだったのだが、容量上そうはならなかった。
この話のタイトルはREVIVAL、意味は復活、その意味は聡史のケガからの復活を示しているわけだが……実は本当のREVIVALのオチは舞台裏にある。
主人公役の少年も、一度足を骨折している、それから役者復帰したのがこの映画。
ヒロイン役の少女も、一度は挫折した舞台役者をこの映画をきっかけにもう一度挑戦した。
そして、監督である俺にとっても、この作品が一度は映画監督を諦めた俺が映画監督として世に認められる作品となった作品だった。
その作品が再び世の中にREVIVALして映画になるなら、なんとも不思議な話じゃないか。
男は食べ残したポップコーンを平らげてから、満足そうに映画館を後にした。


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