高校球児たちは夏が終わっても燃え尽きない。

新チームに生まれ変わった野球部が春の甲子園をかけて戦いあう。

その舞台である某県、某球場。

時計は午後二時をさしている。

残暑が残ってはいたが、少しばかり涼しげな秋の風が吹き抜ける元、戦う18人の選手達がユニフォームを汚していた。

あたりを見回せば外野の観客はまばらだったが、アルプススタンドには制服を着た客達がそこかしこに座って熱い応援を続けている。

そしてブラスバンドの音が響く中、この試合始まって10度目の金属バットの甲高い打球音がグラウンドに響きわたる。


すぐさま外野はバックするが、打球はさらにその外野の向こう側を越えていった。

レフトフェンスの手前に落ちると、バウンドしてそのままレフトのグラブに収まる。

すぐさま中継体制をとるが、塁を埋めていた選手はぞくぞくとホームに突入していた。

連続四球からの失点。

一番まずい攻め方だった、七回の裏、球数が100を越えてから急にコントロールが乱れ始めた。

気づいていたはいたが、どうにも体が言う事をきかない。

足元がぐらつくばかりで、ボールに力が伝わらなかった。

ここまで走者を出しながらも耐えてきたが、先ほどの失点でついに3対0とされてしまった。

すぐさま監督からの伝令がマウンドへ足早に駆け寄る、それと同時に内野の選手達と捕手も集まってきた。

まず聞かれたのは肩、だった。

正直に重たい、と答える。

流石にこれ以上は無理そうだった。

猛練習の成果は肩にふりつもった疲労だった。

投球過多、一時は右肩があがらない生活も送ってしまった、しかし辛抱強くリハビリを繰り返した結果、なんとか予選までには100球は耐えられるようになった。

しかし、その限界も先ほど通り過ぎてしまった。

味方の口も自然と重くなり、声を発しようとするものは誰もいない。

そして、代わりの投手がベンチか出てきた、二番手だった。

監督が審判に交代の支持を伝える、どうやら自分はもう用済みのようだ。

捕手がゆっくりと沈黙を破る、お前はレフトへ行けといわれた。

口々に内野陣が賛同する、そうだ、お前も最後まで一緒にグラウンドへ戦え!

『選手の変更を行います。投手の久保君に変わりまして、投手は志田君。左翼手の山田君が久保君と交代です』


こうして、背番号1はマウンドを他人に明け渡したのだ。













「エースが見た景色」

















このチームの背番号1、エースの久保はレフトの守備位置についた。

いつもとは、違った景色のように感じた。

当然なのだが、何だか寂しい気がした。

中学生の頃から一度もマウンドを譲った事はなかった、才能で野球をやってきたわけではない、努力を惜しまずに今まであの場所を守っていたのだ。

それが今のチームになり前の三年生が夏で引退し、ついに久保がマウンドの上に立つ権利を得たのだが、その代償は肩痛だった。

それでも久保はこの秋の予選、一回戦、二回戦と一人で投げ続けた。

球数を最小限に抑えるための打たせてとるピッチングも、全力投球しないストレートも久保のプライドに触ったが、それよりも大切な事があった。

それが、マウンドの上から周りの景色を見ることだった。

その場所は久保にとって特別なもので、神聖なものであった、そこは自分だけの場所であり続けたかった。

偏見かもしれないが投手とは元来、わがままなものであると聞いた事がある、繊細で傷つきやすく、その癖自分のプライドを守るためには何だってする。

久保もまたそうであった。

皆が最後まで一緒に戦いたい、という好意も、俺のために変わったレフトが俺のことを恨んでるというネガティブな思想に変換していた。

そうやって目を細めて、自分が明け渡したマウンドを久保は見ていた。

変わった投手は全力投球で打者を三振にとって行く。

ピンチをのりきった、という喜びよりも、俺だって全力を出せばあれぐらい、という悔しさのほうが大きかった。

ベンチに帰って捕手に、あきらめるなよ久保、まだ試合はわからないぜ、と言われても久保はずっと自分自身と自分以外の選手に対して頭にイライラを抱えていた。

顔には出さないものの、エラーの時は心の中でそのようなまずいプレイに対して侮蔑を含んだ文句をしまいこんできていた。

そういう性格なのだ、自分がみんなを勝たせている、と思っていた。

だからこそ、自分が出ていないのに、ピンチを乗り切った事に対して腹を立てていた。

そして寂しさも同時に抱えていた。


試合は八回に味方のチームが二点を返し、一点差とするもそれ止まりになった。


また久保は、レフトの位置についた。

自分は今、どのように見られているのだろうか。

情けない負け犬に見えているのだろうか、それならば同情でグラウンドに閉じ込められるよりも早くベンチに逃げてしまいたい。

そんな羞恥心の塊がぐるぐると窪の中でうずまいていた、特に他人の前でみっともない姿を見せるのは彼のプライドが許さなかった。

いつから、こんな格好の悪いことになった。

中学時代から騒がれていて、スカウト推薦で野球の名門校に迎えられた。

しかし、そこで待っていたのは後悔と挫折ばかり。

壁の向こうにある壁、乗り越えてもそれは決して届く事はなかった。

だから久保は馬鹿になったように、投げ続け、走り続けた。

そのおかげでようやくマウンドに立てたのに、待っていたのはこの有様だ。

そう思えば思うほど、どす黒い感情が久保の下腹部にたまっていった。

やはり、ここはマウンドとは違う。

マウンドは、プレートが心を落ち着かせ、ロージンバックが癒してくれる。

そんな、そんな景色が久保の全てだった、だが、今それは他人のものだった。

また、二番手の投手が一つアウトを取った。

悔しくて仕方なかった、あの自分の球がミットに収まる軽快な音も、打者を空振りにとった時の爽快な気分も、他を圧倒する優越感も、全て奴のものだ。

何故、マウンドがグラウンドの地面から高い位置にあるか、それは打者を、他者を見下すためだ、野球は投手で決まる。

久保はそう思っていた。

そう思うことが自分が強くなることにたいして一番近づくと考えていた。

だからこそ、自分の今の位置はありえなかった。

低い場所に、見下される場所に、少しでもいたくはなかった。

打者が投手のボールを打った、打球は自分の所に飛んでくる。

落としてやろうか。

一瞬そんな最低な考えが浮かんだ、だがそれはすぐに吹き消した、マウンドの奴の信条は知った事ではないが、エラーはデータに残る。

自分の履歴に少しでも傷は付けたくはなかった。

グラブにボールが収まりスリーアウト、八回が終わった。

そして、九回、何の因果か最後に回ってきた打者は久保だった。

相手はマウンド上に立つ知らない奴。

一球目はストレートを見逃し、ストライク。

二球目もストレートを見逃し、ストライク。

あっという間に追い込まれてしまった。

だが、久保にとってはどうでも良かった。

チームのために最後まで諦めないだとか、そんな偽善者ぶった考えはもうとうない。

ここで打ったからといって、勝利がつくのは二番手の奴だ。

それは打つ自信がない、といった事からへの逃げだった、久保は自分でも気がついてはいなかったが、確かに久保はもう勝負を諦めていた。

最後の球も、まったく打つ気がなく見逃しの三振。

ゲームセット、だった。

敗因は久保の失点、だが浮かんできたのは何故これくらいの点差も返さない。

今日の負けは俺のせいではない。

そんな考えばかりだった。

やはり、俺が無失点に抑えなければこのチームは勝てないな、と思った。

敗退したチームがベンチに下がっていく中、久保だけはもう一度だけマウンドに向かっていき、しゃがみこんで土を触りながら呟いた。

また、戻る。

そして、再びマウンドからの景色を一望すると、他人への不満と自分への不満とを抱え、エースは、背番号1は姿を消した。



打たれ、マウンドを退いたエースはどんな事を思っているのだろうか。

あの寂しそうにマウンドの別の投手を見ている目の向こうではどんな感情が渦巻いているのだろうか。

久保はそうだったが、他はどうなのだろうか。

それは誰にもわからない。

マウンドからの本当の景色を知っているのは、エースだけなのだ。

自分の全てを抱え込んで投球にぶつけれるのは、背番号1なのだ。


エースが見た景色を知っているのは、エースだけである。















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