涙色SMILY
















 それは暑い夏の出来事。
笑顔が生んだ一夏の経験。






 にこにこ。
にこにこ。
にこにこにこにこ。
「あーうっとおしいっ!」
思わず手で振り払った。
「ど、どうしたのけー君」
「どうしたもこうしたもクソもねーよ!こっちは来年受験なんだ、にこにこにこにこバカみたいに笑いやがって、そんなに俺がおかしいか!」
「そ、そうじゃないけど……」
 なんだか申し訳なさそうな表情を浮かべる、ワンピースの少女。
サラサラの黒いショートカットに吸い込まれそうな大きな目は、
……いや、語弊があった。
申し訳なさそうな表情なのだが、それでも笑顔なのだ。
にこにこにこにこと、このくそ暑い日に暑苦し…くないが、笑顔になられるだけで暑苦しいわい。
俺はシャーペンを放り出してねっころがった、天井は木目。
顔を横に向けると妙に懐かしい草の匂いがした、畳だ。
顔だけを起こすと、向日葵の生えた庭の向こうに石積みのレンガ。
縁側を覗く塀の向こうは輝く夏の太陽の下真夏の田舎景色が広がっているだろう。
日本古来の家屋に体を預けながら、大きく息を吐いた。
「べんきょう、しないの?」
「休憩だ休憩!」
「ほんとっ!じゃあさ!じゃあさ、棗(なつめ)と遊んでくれるっ!?」
「無理」
 即答。
「えー…残念」
 にこにこ。
普通はもうちょっと悲しがる所か、残念そうにする所なのに、彼女はずっと笑いっぱなしだ……いや、笑ってはいるのだが……なんというか、笑っているのに残念そうというか。
上手い言い回しが思いつかないので、残念そうに笑う、としておく。
そんなことより、彼女、というのはこのさっきから笑う少女、名前を棗という。
ここは俺の母方の実家、関東郊外にある多い中の山の中で、周りには自然以外何も無い、どっちを向いても山山山山、おまけに畑ぐらいだ。
俺は受験生でこの夏が勝負だというにも関わらず、夏休みに田舎へ連れられた。
と、視線がちくちくと寝転がった背中に刺さる、顔だけそちらへ向けるとまだ名残惜しそうに棗が立っていた。
ため息をついて、断る。
「大体俺は勉強しなきゃならないんだよっ」
「でも弘子おばちゃん、けー君は、家にいてもずっと寝てるだけだ、って言ってたよ」
「……」
 あんのクソババァ。
「それに休憩中なんでしょ、遊ぼうよ〜。近くにプールがあるんだよっ!」
「ヤダ」
 即答。
「行こうよ行こうよ」
「お前が笑うのをやめてたらな」
さっきからずっと断ってるのに人を食ったようにずっと笑いやがって何なんだ一体。
……いや、確かに感情は読み取れるのだが、あれ?おかしいな、同じ顔なはずなんだがどうしてわかるのやら。
「……そ、それは駄目かな」
 ―――と、ちょっと棗の笑いの質がまた変わった。
でもそんなことはどうでもいい、俺は手をひらひらと振った。
「お前友達とかいるんだろ、それと行ってこいよ」
「…う、うん…わかった、けー君がそう言うなら」
 そう言って、また笑顔を浮かべながら部屋を出て行った。
そして目を閉じる、人間休憩が必要なんだ。
…休憩、かぁ。ずっと寝っぱなしだこっちに来ても家にいても。
これじゃお袋の言う通りじゃないか、情けない。
そう思ってもやる気が出ないものは出ないのだ。
先日つきあってた彼女に振られたばかりだし。
畜生…一夏の思い出どころか、一生の後悔だっつの、田舎なんかより新たなラブロマンスを求めて海へビーチへ行きたいんだがなぁ。
駄目だ、考えで出すとひどくだるくなってくる、まぶたを閉じれば眠れるだろう。
寝て忘れて、また明日勉強すればいいや。

「…………」

そういえば、昔はよく実家に来てたっけなぁ。
夏といえば恒例行事だ、とは言っても都会っ子だった俺はさして興味もなかったんだがなぁ。
小学生三年生くらいか、ここに来た時、変わっていたことがある。
家の隣にこの田舎の風景とはあまりにもミスマッチな喫茶店ができていた。
名前は「HIMAWARI」、都会の有名店を意識したような店内はすごくオシャレで、お袋はいたく気にいっていたようだ、店の主人夫婦たちとは今も仲がいい。

 ただ俺はひどく気が重かった。
田舎に行く度に、ここのHIMAWARIの店の一人娘のお守りをしなきゃならないからだ。
名前はなつめ、俺より年は結構下だったかな、聞いたことがないからわからなかったが、とにかくすぐ泣く子だった。
こけては泣き、親がいないと泣き、水が怖いと泣き、虫が嫌だと泣き、嫌になった俺が見放すと、寂しいと泣きじゃくる。
とにもかくにも泣いてばっかりの奴だった。
…泣いてばっかり?
そうだ、アイツずっと泣いてばっかりの奴だったじゃないか。
いつからあんなに笑うようになったんだっけ。


 かなかな、っとひぐらしの鳴く音に気がついて目を覚ます。
よだれが垂れている事に気づいて、慌ててふいて証拠を消した。
「……んー」
夕暮れの西日がまぶしい。
今日も終わりか、大きくのびをする。
「お目覚めですかー、けー君」
 隣で誰かがくすくすと笑う。
「よだれ、ばっちし見ちゃったです」
「あ!?なっ、棗!お前いつから!」
「それはそれは健やかなる寝顔だったよー」
「ぐっ」
 なぜか恥ずかしくなって目をそむけてしまった、頬が熱い。
「大体、お前プールに行ったんじゃなかったかよ」
「けー君と行きたかっただけだから、行ってない」
 にっこり。
そういうことを笑顔で言われると、こっちが照れる。
「……あのな」
 本日何度目かわからないため息をついて胡坐をかいて座りなおした。
目の前の棗は何故か正座していた。
もちろん、満面の笑みで。
「あ、けー君喉渇いてる?お茶とか持ってこようか?」
「…………あー。頼むわ」
 少し考えた後、邪険にするのもどうかと思い提案を受けることにした。
「うんっ」
 何が嬉しいのかまた笑顔でぱたぱたとかけていく。
別に笑う女は嫌いじゃない、どちらかというと笑顔でいてくれた方が嬉しいことは嬉しいが…物には限度、ってものがある。
棗はおかしい。
何があってもにこにこしてやがる、俺が誘いを断ってもゲームに負けてもスイカの種を飲みこんでも、お腹を下しても転んでも……ってあいつ結構ドジだな。
その内、またぱたぱたという音とともに棗は帰ってきた。
「はい、どうぞっ」
 手にはキンキンに冷えた麦茶、実家お手製らしい、さすが田舎。
握ると、グラスにはりついていた水滴の冷たさが心地よかった。
「えへへ」
「何が嬉しいんだか」
 相変わらずバカみたいにマヌケな笑みを浮かべる棗をじと目で見る。
「だって、けー君が帰ってきたの、久しぶりなんだもん」
「……」
俺としたことが思わず止まってしまった
「そうか?」
「そうだよ、最後に来たのが私が小学生の三年だから…五年ぶりかな」
にこにこ。
「五年ぶりねぇ」
 そう言えば、しばらく来ていなかった気がする。
高校生になってからは一度も来てなかったような。
「だから、久しぶりに会えて、嬉しいなぁ、なんて」
「嬉しいか?だって俺だぞ?」
「うんっ、けー君だから」
 屈託なく笑う。
相変わらずコイツはよくわからん、泣いてても笑ってても一緒だ。
「それにしてもさ……お前昔はずっと泣いてなかったか?」
「ん、そーかな?」
「いつの間にそんなに笑い上戸になったんだ?」
「あはは、笑い上戸じゃないよぉ」
 お酒は大人になってからだよっ、と人差し指を立てる。
「はいはい」
「えへへぇ」
 呆れたのに何故か笑う。
「変わってないね、けー君は」
「変わったよ」
 色々あったしなぁ。
「変わったの?」
「そりゃあ、バイクも買ったしタバコもやったし、バンドは辞めたけど」
「た、たばこ吸っちゃだめだよー!」
「いいだろ別に」
「だ、だめだよ、だってその…あ、赤ちゃんとかできるときに、あれだもん」
 笑いながら赤面する棗、なんて器用な。
「…でも、中身はあんまり変わってないよ?」
「マジ?」
 棗からすれば変わっていないのかもしれない、五年も会ってないのに変わってないってのはちょっとショックだったりもするが。
「うん、いつもなんだか呆れてて、だらけてるけー君のまま」
 にっこり。
「お前言うようになったな…」
 ちょっと傷ついたぞ。
「え、わ、わ、冗談だよ」
 それは笑わないで言ってくれ。
「お前は…変わったよな」
「そ、そうかな?」
「外見はあんまり変わってないけどな」
主に胸とか、体とか、顔とか。
「えーそうかな?あはは」
 怒るところだろ、そこは、なんだか拍子抜けしてしまった。
「やれやれ。あ、茶、サンキューな」
「どういたしまして」
「まだまだメシまで時間あるよな、もう一眠りかな〜」
 再びごろりとたたみに寝転がる、まだ日は沈んでいない。
田舎の日中は長いのだ。
「やっぱり、だらけてる〜」
「うるせバカ」
「えへへ」
 何故笑う。
「お前本当大丈夫か?俺が来た時からずっと笑いっぱなしだぞ」
「ん?大丈夫だよ、普段からこんな感じだから、あはは」
「危ないぞ?」
「煙草すってるけー君よりは、マシだもん」
にっこり。
「…………ちっ、へいへい、そーかよ」
 こんなに笑う奴だったのかなぁ。

 そんな感じで林間…いや山間の夏休みは刻々と過ぎていく…が。
相変わらず、勉強が進まない訳で。
「あー…駄目だ、暑くてやる気が出ない」
目の前の参考書は空欄だらけ、ついに苛立ちが頂点に達した俺はシャーペンを天上に放り投げてダウンした。
どこからタオルが投げ込まれる気がする、と思ったらシャーペンだった、危ねぇっ!

「あ、じゃあ遊びに行こうよ!」 

 ぴょこ、とどこから聞いていたのか部屋のドアから顔を出す棗、左右でくくっている髪の毛が揺れた。
今日も相変わらず笑顔な棗さんなことで。
「それもだるい」
「駄目かな?」
「……それを笑顔で言うんだお前は」
 笑って言うから俺のやる気がそげるのだ。
しかしまぁ、来てから一度もコイツとの遊びに付き合ってやっていないというのも何か罪悪感が胸にぞわりとわいてくる。
 「はー、気分転換にはいいかもな」
仕方ない、言ってよっこらせと立ち上がる。
「え!?いいの?」
「お前から誘ってきたんじゃないのかよ」
「う、うん」
 …おや、始めて笑わなくなったな。
今の表情は、驚いたものだった。
でもすまたぐに笑顔に変わる、それはまるで落としたものに気がついて拾うように…。
「じゃあさ、じゃあさ―――」

 「あーづーいー」
「あはは、夏だもん」
「お前はなんでへらへら笑えるんだよ」
 山道。
道なき道。
周りには何もなくただただ林ばかりの場所を歩いていく。
ただでさえ田舎なのに、ここまで来たらもう未開拓地だな。
 「けー君と一緒だから」
「はいはい」
だからそう言う事を笑顔で言うなって。
こっちだって一応男子なんだからなー、男は女の笑顔には弱いもんだ。
ちらりと棗を見やる。
「……ん?どぉしたの?」
「はぁー」
 ため息が出るわい。
「大丈夫けー君、お茶飲む?」
「頼む」
 肩から下げた水筒の蓋を開ける。
瞬く間に俺の前にお茶が用意された、一気に飲み干す。
「ぐあー、生き返る」
「あはは、けー君年寄りみたいだよ」
「失礼な」
 そうやって体力を回復しながら歩き続ける。
そうすると、やがて開けた場所に出た。
「……うわ」

 そこは、真っ黄色の場所だった。
鼻腔をくすぐる青い匂い、太陽に向かって伸びる向日葵畑がそこにあった。
眩しくて、ついつい目を手で覆う。
 「すっげー……!」
 しかし言葉ではそういうものの、素直に驚けない。
なぜならこの景色どこかで見たような……?
「えへへぇ」
 隣の棗は笑っている、笑ってはいたけど…。
「んー、っかしいな俺。ここに来た事あるような。お前知ってる?」
「……」
 棗に聞いても、笑ってるだけだった。
煮え切らない俺は、返答をうながす。
「あのさ」
「ほらほら、行こうよ!すごいよ、下へ迷路になってるんだ!」
「お、おいちょっとっ」
 手を引かれて走り出す。

 思わず童心に返ってしまった。
逃げる棗はこの場所を知り尽くしているのか逃げ足が速すぎる。
隙間から見える笑顔がたまらなくむかついてたくさん走っていたら、思わず倒れてしまった。
「わ、わあっ大丈夫!?」
 熱中症+日射病+運動不足がたたったのだろう。
向日葵畑のど真ん中でぶっ倒れてしまった。
そして今は木陰で横になっていた、風が涼しくて気持ちよかった。
 「…スマン棗」
「ううん、ちょっと遊びすぎちゃったんだね」
「まさかここまで体力が低下していたとは…」
 考えてみれば遊びまわってたのなんて小学生ぐらいまでだしなぁ。
さわっ、と涼しい風が吹いた、気持ちいい。
「あ、あのさ、何か思い出さない?」
「何か……って、何を?」
 唐突に聞かれて者だから、疑問で即答してしまった。
「…べ、別に何もないんなら、いいんだけど、えへへ」
 そう言って笑う。
「?」
 暑い事は暑いんだが、比べると木陰はやはり涼しい、俺みたいな男はやっぱりこうして日陰で寝そべっている方がお似合いなのだろう。
「…」
 微笑み。
来てしばらくたったけど、コイツの笑いにも色々あることに気づいてきた。
大笑い、含み笑い、微笑、照れ笑い等、よくもまぁここまで笑顔にこだわるな。
「はぁ、こんだけ遊んだのはアイツん時以来だな〜」
「アイツ?」
 ……しまった、思い出してしまった。
「どうしたのけー君」
「……いや」
「アイツって誰?」
 無垢な瞳が俺を覗き込む。
思わず目をそらした。
「いや、その」
なんだか言いにくかった、棗限定じゃなく誰にも。
元カノのことを笑って話すにはまだ時間が足りない。
「……」
 でも目の前の棗は真剣な表情だった。
表情は笑っていても、目は笑ってない。
「いや、その……ユキ、っていうさ」
「……!おんなの……こ?」
「うん、まー、そうなんだけど」
「……う、そ!」
 そこまで言うが早く、棗は駆け出した。
「お、おい!」
 呼びかけても反応せず、ずっと道を走っていった。
すぐに林の中に消えて、姿は見えなくなった。
いや、それも大変なんだが……。
「ここからどう帰ればいいんだよ」
 よそもので土地知らず俺は道をさまようしかなかった。

日が完全に沈み、夜になってようやく家に帰ってきた。
何故か辺りは騒がしかった、ええいうるさい全く。
棗は急に俺をおいて帰るし……散々だな、何しに来たんだ俺は、もう。
歩き倒しで棒になった体を動かし、なんとか玄関のさっしをスライドさせる。
 「うう、ただいま、腰いて〜」
「ちょ、ちょっとケイジ!」
 お袋が慌しく玄関にかけてくる。
「何さ、騒がしい、火事とか?」
「ち、違うのよ!棗ちゃんがまだ帰ってきてないって…!!」
 …………なんだって?
「一緒じゃなかったのアンタ!」
「お、おいおい待てよ、あいつ俺をおいて勝手に帰ったぞ!」
「そ、そんな…!」
 絶句するお袋。
「い、今ね村の人全員で手当たり次第探してるの!アンタも手伝いなさい」
「……で、でもさ別に棗はそんないきなり行方不明になるような奴じゃないだろ?」
「何言ってるのよ、棗ちゃん、学校行ってないのよ」
「……え?」
「ずっといじめられてて、不登校なんだって……時々いなくなる時があるみたいで、前も同じようなことがあって……その時は大丈夫だったんだけど」
 ただならぬ口調から疲れきっていた俺も、ようやく事態のヤバさに気がついた。
「……わ、わかった、とりあえず探してくる!」
 急いでスニーカーを履きなおして家を出る。
なんだか、嫌な予感がひりひりした。

 「おーい!棗ーっ!」
懐中電灯を持った男が行きかう中、俺も大声で棗の名前を呼ぶも反応は全く無い。
「まさか山で迷ったんじゃないだろうな…」
俺たちが先ほどまでいた山道は相当入り組んでた。
まさかな。
……俺は先ほど登った山に向けて走り出した。
「なつめーっ!」
 誰もいない静寂に声が木霊する。
見上げれば木々の隙間から覗く月の光。
懐中電灯がなければこんな場所俺なら速攻迷っていただろう。
枯れ木を踏みしめて少し道から外れた所も探してみる。
だが人っこ一人いそうにない。
「クマとかいないだろうな…」
 時々あたりに飛び交う獣の遠吠えがたまらなく怖い。
草陰が揺れるたびに体が震えてしまった。
「…くそ、男の俺がびびってどーすんだ!」
 もしかしたら棗も怯えてるかもしれないってのに。
「棗ー!スマイル馬鹿野郎ー!どこにいやがんだ!!」
 音はむなしく暗闇に呑まれて消えた。
舌打ち、苛立ち、不安が段々募ってきた。
まさか、どっか崖から落ちたとか…。
「棗、棗ぇーーーっ!!!」
 どこにいやがんだ畜生!
焦燥感が胸の中でどんどんと膨らんでいく。
……?
「待てよ、なんかおかしいぞ」
 さっきからずっと思ってたんだけど、この道見たことあるぞ。
昼の向日葵畑のデジャビューといい、昔俺はここに来た事があるのか?
そりゃあ、小さい頃あんだけ来てれば一回はこんな所で遊んだ事あるかもしれないけど…。

―――思い出さない?

「そーいやさっき棗の野郎にそんなこと言われたっけ」
 ……思い出す、ってことはやっぱり俺はここに来た事があるんだ。
「……」
 必死に記憶を辿る。
……おい!ある、あるぞ。
「…そうだ、っていうかあの向日葵畑、俺が教えたんじゃねーか!」
 なんてこった。
小さい頃、あの場所に彼女を連れて行ったのは俺だ。
泣きじゃくる棗を笑わせようと思い、たまたま見つけたこの場所につれてきた。
女の子はお花畑が大好きだろう、と思ってつれてきたが正解だった、案の定あっさり棗は機嫌を直し、子供ならではの元気らしさを取り戻していた。
「…もしかして」
 あの向日葵畑にいるのか?
どうして、とか何故、とかじゃなくてなんとなく、あそこにいる気がした。
あの場所を教えてから、アイツは決まって何か悲しいことがあるとあそこに向かったのだ。
それでよく帰ってこないって、騒ぎになってそのたびに俺が連れ帰してたっけ。
先ほどの道を記憶とキオクを頼りに、歩いていく。
そして。


 「お前はこの年でまだそんなことしてんのかよ」
予想通りだった。
記憶を必死に辿って着いた向日葵畑の横の大きな木下に彼女は膝を抱えて座っている、それでも笑顔は消えない。
「え……」
振り向く彼女の頬は何故か濡れていた。
帰ってきた声も揺れている。
「けー、くん」
 赤い目を潤ませて、立ち上がる。
「な、泣いてても笑ってる、か」
「……えっ!?」
 思わず驚いて目をこする棗。
次の瞬間にはもう涙の無い笑顔だった。
「う、ううん、泣いてない、泣いてないから」
「……泣いてないよお前は、顔はずっと笑いっぱなしだ」
 なんで笑えるかな、こんな時に。
「ほら、帰るぞ」
「……だ、大丈夫、帰れるから先に帰って」
「はぁ?」
 差し出した手をはねのけられたような感じだ。
「あのさ、どうしたんだよ、昼間もいきなり帰っちゃってさ……」

「見たの」

消え入りそうな声で、彼女は言った。
「けー君のね、携帯見たの」
「は?」
 いきなりの問いかけに、俺は返答できなかった。
「けー君、女の子とつきあってたんだ」
「え、ま、待てよ、それは……」
「どーして!!!!!」
 俺の言い訳は大声にかきけされた。
辺りが震え、俺の心臓も殴られたように激しく動悸し始めた。
「けー君、けー君。言ってくれた、言ってくれたのに、この場所で。この場所で…」
声は震えてて、目じりからは雫が何滴もしたたりおちる。
「な、なぁ…棗、お前、どうして…」

「―――笑ってんだよ」

 声は泣いていて、声は怒っていて、顔は張り付いたように笑顔。
それはまるで、まるで…笑うこと以外を忘れたような。
「笑うよ、私。けー君との約束だもん。笑うこと以外忘れちゃった」
「お前、いじめられてんのか?」
「うん、笑ってばっかりで気持ち悪いんだって」
「じゃ、じゃあ……どうして、笑うんだよ!!」
「約束、だから」
「……約束」
 彼女は大きく手を横に広げた。
「けー君は覚えてないかもしれないけど、私ちっちゃい頃ここでけー君に慰められたことがあったの」
「……」
「けー君に教えられた、ここで。けー君はいつも泣いている私に言ったの。『どーして、泣いてるんだ、頼むから泣かないでくれって』」
 それはおぼろげに残っている幼い記憶。
「それでね私は『じゃあ、笑ったらけー君私のことお嫁さんにもらってくれる?』って言ったの。けー君は『ずっと笑ってたら、お嫁さんにしてやるから、泣かないでくれ』って言ったの」
 彼女は自嘲気味に呟く。
俺に背中を向けて、月を見上げて呟くように言う。
「私ね、必死に泣かないように努力したよ?どんなに辛いことがあっても、笑っていよう、って。いつでも笑っていようって……。誰にどんなこと言われても、けー君との約束があったから、私笑えた。……笑うこと以外を忘れちゃった」
「……な、つめ……」
「でもね、私けー君が寝てる間に、けー君の携帯見たの。そしたら中にとっても綺麗な 女の人がいて、キスしてる写真があった」
……うわっ、あれ見られたのか。
「けー君は、忘れちゃってたんだよね、仕方ないよね、子供の約束だもんね」
「違う!棗、俺はっ!」
「触らないでっ!!!!」
 半ば悲鳴に似たような声で彼女は俺の手を振り払った。




「―――あ、あはは、ごめん、ごめんねけー君、私……泣いちゃっ、った……」



振り向いた棗の顔から、笑顔は消えていた。
泣き方を忘れた彼女は醜く歪んだ顔で、泣いていた。
涙はぼろぼろと頬を流れ、鼻をすする音が聞こえる。
 「やくそく――――――――やぶっちゃ、った」
そして、次の瞬間彼女の姿が消えた。
踏み外したのか、自分から落ちたのか、彼女は向日葵畑の端にあった崖から落ちた。




「ひっく、ぐすっ、えぐっ」
「おい、頼むから泣き止んでくれって、頼むから……」
「だって、えぐっ」
「頼むよ、俺、なんでもするからさ……」
「ぐすっ、ぐず、本当?」
「あ、ああ本当本当、マジマジ」
「じゃあ、笑ったらけー君私のことお嫁さんにもらってくれる?」
「ずっと笑ってたら、お嫁さんにしてやるから、泣かないでくれ」
「……ほんと?」
「マジだって!だから泣き止んでくれ、な、な?俺そうしないと母さんに怒られんだよぉ」
「うん、わかった。約束、やくそくだから」
「約束なんて大層な……わかったわかった」
「うん……私、笑うよ。ずっと、笑う。何があっても、笑顔、笑顔…」








「なつめぇぇぇーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!」
















 気がつけば、俺と棗は黄色い空間にいた。
伸ばした手は、確かに棗を掴んでいた。
そして俺はそのまま一緒に崖に落ちて……。
「死んだのか?」
「……けー君、どーして」
「そんなことよりここは、どこだ」
 良く考えれば壁だと思ってた部分が固い、というか地面だ。
俺は立ち上がった。
「……ここは」
 見上げれば月の真下に高くそびえる崖。
そしてその下にも広がっていたヒマワリ畑。
「そうか、ヒマワリがクッションになって助かったんだ」
 あの落差で助かるとは奇跡だな、とと、まぁ無事って訳でもないが。
緊張が途切れた瞬間俺は腰が抜けた。
「け、けー君」
「心配すんな、安心しただけだ」
 棗はそれでも走り寄ってきて、腰をついた俺の顔の目の前に顔を近づける。
「どうして……私なんて、約束なんて忘れたはずじゃなかったの?」
「お前、早とちりすぎんだ。早死にするぞ」
「……え?」
「だからさ、あの女とはもう別れたっつーの、綺麗さっぱりな。約束はあれだろ、結婚するとかしないとかの奴だろ、思い出したわい」
「じゃ、じゃあ写真は」
「まだ未練がましく持ってるだけだ、はん!恋に破れた男を笑うがいいさ」
 俺はやけになって地面に四肢を投げ出した。
そして、その俺の上に棗が体を重ねた。
「約束……思い出したんだ」
「まぁ、実現できるかどーかは知らんが」
「……うん」
「まぁ、泣いちゃったもんはしゃーないからな、人間から泣く時もある。笑うときもある」
 俺は棗の頭の上に手を置いた。
あ……と小さい声を出して棗はおとなしくなった。
「ま、いいさ、とりあえずトモダチから始めるか。お前いじめられてんだってー?」
 俺が笑うと、彼女も小さく笑った。
「………うん」


 君がこの夏に知った、大切なこと。
泣くことも人間には必要なこと。
笑うことも人間には大事なこと。

 一つ大人になった君の涙色SMILY。






「とりあえず、朝になるまでは危ないからここで待機、だな。積もる話もあるし、ま、気まずくなるのはごめんだから笑えや」
「うんっ」






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