――忍者。それは、主君にあだ成すものを影となりて滅ぼすものである。


「伊綱、よいか」
ろうそくがちらちらと光を震わせる。
敷島家庭番、高崎いづなは、家老高橋阿川守義任の眼をじっと見つめ、うなづく。
義任は膝の上に載せた巻物をいづなに差し出した。
「ことの仔細はここに記してある」
いづなはそれを押し頂くと、眼を落として広げる。
内容を確認した瞬間、その眼は見開かれた。
「姫が……かどわかされた……!?」
「うむ。昨日のことであった。何者かに……近侍はほぼ皆殺しであった」
「これは……先の戦の、仙石ですか?」
「――いや。いくら戦好きの奴らとて、あの国力では仕掛けては来ないだろう」
「では……八神?」
「それもちがう。八神の者達とは今は盟を結んでいる」
「となると……向坂の手のものですか?」
「――多分、そうであろう」
いづなは巻物を脇に置くと、再び義任に視線を向ける。
義任は深くうなづき、衣住まいを正した。
「姫様を、頼み申す」
「……心得た」

−2−

夜闇は、月をも隠すばかりに古城を包んでいた。
もともとこの城は、管領がこの地を収めるために建造されたのであるが、かの乱が起きてからすぐに管領は逃げ出し、そのまま姿を晒して

いるのである。
街道のはずれの、何の戦略的勝ちもない小城であるから、新しい主も住まず、今や盗賊の巣窟と化していた。
そこに、敷島の姫――琴乃がとらわれているのである。盗賊首領である増山一刀太は、向坂家老湯浅勝弘に雇われ、このような工作を行っ

ている。
いづなは、塀を登ると、中を見渡した。
巡回が十数名。どれも盗賊とあって洗練されていない、土一揆に毛の生えたような装備である。
塀から中に降りると、見張りの一人に後ろから接近し、刃を首筋に食い込ませる。
「ひぃッ……」
「声を上げるな。姫のとらわれている場所を言え」
静かないづなの声は殺気からなる迫力に満ち満ちていた。
突きつけられた男は、震える声で意図も簡単に吐露した。
「て、天守閣の、屋上だ……こ、ころさ、ないで……」
「そのままにしていろ」
いづなは、刀を放すと、柄で男の頚椎を殴打する。
うめきと共にくず折れる男を放り、いづなは天守閣を目指した。

−3−

天守閣は、五階からなる建物で、上へと上る階段は各階一つづつしかない。よって、確実に見張りを沈黙させないと退路進路共に塞がれて

しまう。
しかし、それはいづなにとっては全く問題にならなかった。
五階への階段を前に首の骨を折った見張りを捨て置いたいづなは、階段を駆け上る。無論足音は立たない。幼い頃からの鍛錬は、彼を完璧

な影にしていた。
ふすまを開けると、そこにはうずくまる女性がいた。
「姫、参りました。いづなに……」
言いかけ、異変に気が付いた。それは――
「……人形、だと?」
転瞬、背に叫びがかかる。
「敷島の曲者があっ!」
それは、このとりでの首領、増山一刀太であった。
増山は古傷にまみれた顔を、笑みの形に歪め、刃を引き抜いた。
「……姫はどこだ」
いづなは背の刀を抜き、相対する。
増山はその言葉に嘲りを返す。
「阿呆が、誰が教えようか!」
端役にはわざと偽の情報を教える。兵法の中でも、初歩の策である。いづなの心にもわずかの焦りがあったのであろう、見抜けなかったの

だ。
「さあ、どうする? 庭番」
「見つけ出すまで」
言い切らぬうち、いづなは増山の懐に飛び込む、増山の刀はそれを防ぐが、いづなの左手にくないが握られていたことまでは予想できてい

なかった。
腹部に深々と突き刺さるくないの刃に、増山はよろめいて血を吐く。そこに、容赦なくいづなの刀が押し込まれる。
「…………はっ……」
増山の口からなにか言葉が発されようとしたが、いづなの刃はそれを許さず、首を掻っ切って血を撒き散らす。
赤い螺旋は、畳に雨となって降りそそぎ、血払いを終えた刀は鞘に収まった。
倒れた一刀太を放り、いづなは一階へと降りていく。ここ以外では、蔵くらいしか人を隠せるところが無いのである。

−4−

「姫!」
蔵の中、琴乃は後ろ手に縛られて捨て置かれていた。いづなは、縛めを解き、その顔を覗き込む。
「姫……お怪我はございませぬか?」
「……いづな……? いづなか……?」
弱々しく聞く琴乃に、いづなは力強くうなづいた。
「ええ。早くお城に帰りましょう」
「い、いづなぁ……」
琴乃は、流れ出す涙をそのままに、いづなの胸に倒れこんできた。
「ひっ、姫っ!?」
「やはりそちは……わらわのいづなじゃ……うくっ」
「姫……」
いづなは、少女のような可愛らしい面を、照れと困惑に赤く染め、どうすればいいのか分からずに手で空を掴む。
「あ……えと……と、とりあえず、行きましょう?」
「……おぶってくれぬか?」
「……ええっ!?」
「くれぬのなら、行かぬ」
突然始まった姫のわがままにいづなは困惑しながらも、体を預ける柔肌を拒もうとはしなかった。
「……行きますよ、姫」
「うん……」


影となり日向となり、使えるべきものを守るもの――それが、忍者である。

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