「はっ、はぁっ、はっ、はっ」

 私は、走っていた。

 突然の知らせ。お姉ちゃんが事故に遭ったって――

「お姉ちゃん……っ」





「詠美ー! 早く支度しなさいってばー!」

 朝の寝ぼけまなこに、お姉ちゃんの叱り声。私はいらいらしながら答える。

「してるー!」

 リボン結んで……っと。私は洗面所から出た。ぷーん、と、トーストの匂い。

 お姉ちゃんは、もうスーツを着てて、私に気付くと、いそいそとした口調で言う。

「今日は会議だから、お姉ちゃんもう行くね。詠美も、早くしなさい」

「分かってる」

 私は気のない返事をして、トーストをかじった。お姉ちゃんはせっせと鞄を持つと、私の方に来て、リボンに手をかけた。

「なに?」

「曲がってる。……よし、と」

 直すと、お姉ちゃんはにこっと笑って、キッチンから出て行く。

 私は何となくいたたまれなくなって、大きな声をお姉ちゃんの背にかけた。

「いってらっしゃい!」

「行ってきます」

 玄関から出るお姉ちゃんの笑顔が、なんとなく忘れられなかった。





 私がまだ九歳のときに、お母さんは病気にかかって、そのまま死んでしまった。

 お父さんは、それから少しして、段々変わっていってしまった。

 毎日酒びたりで、なにかと私とお姉ちゃんに当たって……

 そのとき高校生だったお姉ちゃんは、いつも私をかばってくれた。

 いつだったか、ビール瓶で頭を殴られたとき。お姉ちゃんは、私のことを抱いて病院まで連れて行ってくれた。

 怪我は浅く、二針ほどで手当ては済んだ。

 お姉ちゃんは、包帯を巻いた私を抱きしめて、涙を流していた。

 そのことがあってすぐ、お姉ちゃんは私を連れてあの家から出た。母方の祖父母の家に行くためだ。

 おじいちゃんとおばあちゃんはやさしい人だった。こっちの学校に編入もできたし、お父さんが追ってこないようにかくまってくれた。

 それからお姉ちゃんは就職して、私と二人でこのマンションに住み始めた。

 思えば、全部お姉ちゃんのおかげだった。

 いつも守ってくれて、私を助けてくれたのはお姉ちゃんだった。

 なのに、私はそれに甘えて、感謝するのを忘れていた。

 お願い……無事でいて……お姉ちゃん……





「お姉ちゃん!」

 病室のドアを突き破るように開けて、私は遮二無二駆け込んだ。

「え……詠美、どうしたの、そんなに慌てて……」

 しかし、ベッドの上には、スーツ姿のままのお姉ちゃんが座っていた。

 ふくらはぎの辺りに包帯を巻いているだけで、他に目立った怪我はないようだ。

 私は、びっくりしたのと安心したのが一緒に来て、笑ったつもりが、涙が出始めてしまう。きっと、顔も笑ってないんだろうな……

 すると、お姉ちゃんは慌てて、

「ど、どうしたの!?」

 立ち上がって私に近づく。足が痛いはずなのに……

 私が、しゃくり挙げながらお姉ちゃんを見た。涙でぼやけてるけど、その表情が心配そうに曇っているのは分かる。

「お、おねえ、ちゃん」

「詠美? どうしたの?」

「ひくっ、ごめん、ね、おねえちゃんっ……」

「な、何であやまるの?」

「だっ、だって……今まで、私、迷惑かけてばっかで、お姉ちゃんに、一回も、ありがとうって……」

 すると、お姉ちゃんは、ぎゅうっと私を抱きしめて、優しい声で、言った。

「ありがとう、詠美」

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