「ねえ、そこのお嬢ちゃんっ」
一瞬、辺りを見回してしまった。その「お嬢ちゃん」が私であると理解するまでに、少し時間がかかる。
「眼鏡の貴方よ?」
私は、おずおずと自分を指差した。
「……私、ですか?」
「そ、あ・な・たっ!」
私の目の前にいる、黒いセーターを着たお姉さんは、満面に笑みを浮かべた。
セーターから張り出た大きな胸、きゅっと締まったウエスト、そしてやはりきれいな形のお尻は、私とは比べ物にならないほど肉感的だった。
長い金髪は、腰に届かんばかりの長さと、くもの糸のような細さ、そして艶を宿し、黒い瞳からは妖しい光が輝いている。
「魔法少女、やらない?」
「はぁっ!?」
……これが、私の……東馬さくらの、「魔法少女」としての戦いの始まりだった――

−1−

お姉さんにつれられるまま、私は川原に来た。お姉さんは、「魔法少女」の力を見せてくれるとかで……
「じゃあ、いくわよ」
お姉さんは、ウインクすると同時にひらりとターンする。
かと思うと、どこから出したのか、可愛らしい装飾の付いたバトンを回して、その力を利用してかなり高く投げる。
まるでプロペラ飛行機のように飛んでいったバトンを見上げることも無く、お姉さんは一声叫びを上げる。
「チェンジ・マジカルスケープ!」
刹那、お姉さんの体が光ったと思うと、瞬きの後にはまったく別の姿になっていた。
薄紫のくたっとした大きなとんがり帽子に、やはり紫を基調としたセーラー服のような上下、そして足にはオーバーニーソックスと拍車つきブーツ。まさに「魔法少女」を形にしたようなコスチュームである。
私は、その姿に、自分でも気付かないうちに口走っていた。
「かわいい……」
「うふふ、ありがと」
気恥ずかしそうに笑むお姉さんは、妙に可愛らしい。私は、なぜか顔が赤くなるのを感じた。
「あ、自己紹介がまだだったわね。私の名前は風花あやめ。またの名を――」
そこに、ようやく先ほど投げたバトンが、弾丸もかくやという速さで落ちてくる。
私が危険を知らせるより早くそれはお姉さんの頭に直撃し――なかった。
なんと、悠々とキャッチして、そのバトンを私に向けて、ポーズを決めていたのである。
「嘘……あやめさ――」
「魔法少女、マジカル・アイリス!」
私のつぶやくのを遮ってよわばったあやめさんであったが、流石にそれはいただけない。
「……」
遮られた呟きをそのままに、私は沈黙をもって感想とした。
あやめさんもそれに気が付いたようで、すぐにポーズを解いて、心なしか早口で話し初める。
「それじゃあ、とりあえず、技見せるわね」
やはり、技はバトンを回転させるところから始まるようで、あやめさんは器用に回しつつ、呪文を唱えた。
「地獄の業火よ、我に仇成す者全てをその名の下に焼き尽くせ! インフェルノ!」
その台詞の内容が、魔法少女に似つかわしくないと気付く前に、あやめさんの構えたバトンから炎の渦が巻き起こる。
それは、誰もいない河川敷を30m近く疾走し、熱風を残して消失した。
「こんな感じ……って、どうしたの?」
あやめさんは、凄まじい光景に唖然としている私に声をかける。
「もしかして……気が変わっちゃった?」
「はあっ?」
「いや、いきなり大技見せちゃったから、怖くなってやっぱりやめようかなーとかって思ってるのかと……」
「思ってないし、元からやるだなんていってないし!」
「そっかー……」
と、あやめさんは、胸元に指をいれ、一枚のカードを取り出した。なんて胸のデカさだ……
「これっ」
私に差し出されたそのカードには、携帯電話の番号が可愛らしい丸文字で書いてあった。おじいちゃん臭いとかって言われる私の字とは似ても似つかないほど、魔法少女らしい。
「もし気が変わったら、電話ちょうだい。あ、貴方、お名前は?」
私は少し迷ってから、結局名前を教えることにした。
「東馬……ひがしのうま、で「あずま」の、さくらです。さくらは平仮名」
「そう。さくらちゃんって言うんだ。……えっ!? さくらちゃんっ!?」
「な、なんですか、いきなり」
「さくら」という名前をつかまえて、あやめさんはなぜか目を丸くする。
「だって、あなた! さくらっていったら、それだけで……」
「……なんかそれ本で見ました」
「そ。そう? それなら分かるでしょ? その名前の持つ力が」
にやりと笑んでから、あやめさんは名刺を私の手に握らせた。そして、その瞳を爛々とさせて、念を押す。
「やるんだったら、なるべく早く連絡して、ね!」
言ったかと思うと、バトンを箒に見たててまたがり、ぴょんとジャンプする。
するとその瞬間バトンは本物の空飛ぶ箒に変化して、空中に浮き上がった。
「じゃあね、さくらちゃんっ!」
あやめさんはばちっとウインクするが早いか、間髪いれず彼方へと飛び去った。
巻き起こった風に頬をなでられながら、私はあやめさんがいなくなった方を見つめていた。

−2−

ベッドに横になったまま名刺をかざす。電気がそこだけ遮られて陰を作った。
「魔法少女、か……」
私は投げ出し、大きく息をついた。あーあ、なんだったんだろう……
でも、やってみたいという気持ちも、少なからずある。
つまらない学校を忘れて、あんなふうに空を飛んだりできたら、面白いだろうなぁ……
「あーっ! もうっ!」
勢いをつけて立ち上がって、眼鏡をかける。もういいや、頭冷やしてこよう!


外の空気は、冷たかった。空には白々と光を映す月が浮いて、それはヴェールのように薄くかかった雲を映し出す。
きれいな、いい夜だ。そんなことを思いながら歩いていると、いつの間にかあの河川敷に来ていた。
ふと、視界に赤い瞬きが移る。
目を落とすと、そこでは、二つの影がすばやく動き、互いに光弾を打ち合っていた。
「な、何あれ……」
片方が赤い火の玉を発射すれば、もう片方はそれをかわしつつ白い衝撃波を放つ。お互いの攻撃によって、一瞬ごとに姿が照らされる。火の玉を打った方は、私と同じくらいの少女だろうか。
しかし、もう片方、衝撃波の方は、
「うそ、あれって……」
薄紫のセーラーに大きな帽子。そう、あれは――
「あやめさんっ!?」
私の声に気付いたのか、あやめさんはふっとこちらを見た。
そこに、火の玉が襲い来る。
「危ないっ!!」
あやめさんは間一髪それをかわすと、こちらに駆けてきた。
「さくらちゃん!!」
「あやめさん、どっ、どういう事なんですかっ!?」
「説明はあと! 逃げて!」
慌てて畳み掛ける私に、あやめさんは私がもと来た方向を指し示す。
しかし、私はそれに答えず、あやめさんの後ろを指差した。そこには、杖を振りかぶってあの少女が迫っている!
あやめさんは振り向くと、振り下ろされた杖の一撃をバトンで防ぎ、続いて飛んでくる回し蹴りを片手で受け止めて軸足に足払いをかける。少女はバランスを崩すが、後転して間合いを取った。
「早く!」
あやめさんの叫びに、演舞のような戦闘に見とれていた私は、はっと我に返る。
だが、その直後、あやめさんは私の足元に倒れ伏していた。見ると、少女が杖の先を向けて仁王立ちしている。何かを放ったのであろう、そこからはもうもうと煙が立っていた。
「あやめさんっ!」
私は、あやめさんの上体を起こすと、彼女はすすの付いた顔を向け、かすれた声で言った。
「は……や……く……逃げ、て……」
せわしくつく息は、しかし深さと強さが無く、あやめさんが相当のダメージを受けたことが分かる。こんな怪我じゃ、戦うどころか、命まで危ないかもしれない……手当てしないと……
しかし、私はすぐ近くに立つものに気づいて顔を上げた。
それは、あの少女だった。
白いメイド服のようなものを着て、身の丈ほどの杖を持っている。
彼女は、私をにらむと杖を突きつけた。
「そいつを渡しなさい! 正義の名の下に浄化してあげるっ!」
その言葉が私の耳から入り、理解されていくに連れ身を突く怒りが芽生えてくるのがわかる。
「……正義?」
私は、腕の中で弱々しく息を付くあやめさんを見やった。
私を守ろうと、こんな状態になってなお、私に逃げろといってくれた彼女を「悪」とする「正義」などあるわけが無い。
少女の独善に、今までに無い憤怒が巻き起こる。それは義憤でも、憎しみでもない、私には言い表す術のない怒りだった。
私は少女をきっと見据えて、その怒りを込めた叫びを上げる。
「アンタなんかに、この人は渡さない!」
すると、少女はその顔を常ならぬほど狂気にゆがめて、杖を振り上げた。
「貴方も悪ね……まとめて浄化してあげる! 消去せよ、カタストロフ!」
赤い光を纏ったその杖は、何のためらいも無く振り下ろされる。私はあやめさんをぎゅっと抱きしめ、顔を伏せた。祈りにも似た言葉が、口をついて出る。
「お願い……守って……!」
刹那、私とあやめさんを、光が包み込んだ。
少女の撃ち出した波動は、私たちを包むその光に弾かれ、霧散したようだ。
「なっ……」
時間が進むのが遅く感じる。光が止まったとき、、驚愕に表情をゆがめた少女が私の姿を凝視しているのがよく分かった。
私は、変身していたのだ。
あやめさんの着ていたような薄紫のセーラー、大きな帽子、拍車つきブーツ、手にはしっかりとあのバトンが握られている。
私は、眼鏡をくっと上げると、黒いセーターに戻ったあやめさんを抱いて立ち上がる。
「魔法少女、マジカルさくら!」
言うや否や、私は高く飛び上がり、一瞬で100m以上の距離を移動してm橋の下にあやめさんを横たえた。
「……すぐに戻ってきますね」
そう言い置き、私はあの少女が立ち尽くす河川敷へと飛翔して引き返す。
着地も軽々と、私は少女にバトンを向けた。そして、挑戦的に言い放つ。
「さあ、勝負よ、偽善者」
「……!! いいわ、その口、二度と開けないようにしてあげるんだから!」
少女は杖をブンと振り、牽制するかの如くに猛然と名乗りを上げた。
「メイド戦士、セイント・メイ! 貴方のハートをお掃除よ!」
メイは、あやめさんを撃ったのと同じものを立て続けに発射する。私はそれを横に飛んでかわしつつ、お返しにと火の玉を放つ。
それはかわされるが、ここで私は自分が今の攻撃を無意識にやっていたのに気付いた。変身をすると自然にできるようになるようだ。
私の頭に、まるで日常動作のように攻撃手段が明滅する。さらに飛来する衝撃波をよけつつ、私は月が隠れたことに気がついた。
瞬間、脳裏に攻撃への道筋がはっきりと浮かび上がる。
私はバトンを回転させ、呪文を詠唱した。
「――其の者の影を縫い合わせよ、タイ・ニードル!」
バトンを振った軌跡に、数本の鋭利な光がひらめいた。それは一瞬の間をおいて、メイの足元の地面に突き刺さる。
影縫い。敵の影を針で止めて動けなくするという呪術と忍法を併せた技である。
メイは自分の周りに突き刺さるそれをよけようともせず、嘲笑を見せた。
「おバカさん、今は夜だぞぉ? ふふっ、影縫いなんて、影が出てないのにできないんだから!」
勝ち誇ったようにのたまい、メイは私に接近しようと身をかがめた。
いや。かがめようとした。
「なっ!?」
メイは、立ったまま金縛りにあったように体をこわばらせている。それは、影縫いそのものであった。
先ほどまでの空に、月は出ていなかったはず……驚愕に目を見開いて、そのまま眼球を下に向ける。
その足元には、くっきりとした黒い影が出ていた。
雲がずれ、月が光をもたらしたのである。
「決まった、わね」
私は悠然とメイにバトンを向ける。メイは怒りのたぎる顔のまま、悔恨に歯軋りした。
「く、こ、この……」
動こうともがくが、影縫いされた体は無論動かない。
バトンを向けたまま、とどめの呪文を唱える。それは、彼女から魔法の力を奪うためのものだ。
「魔の道より出し力、今こそその生まれし場所へと帰結せよ! マジック・デスペライズ!」
バトンに結集した紫色の電流は、その詠唱と共に開放される。閃光は闇夜を切り裂き、メイの体に殺到した。
衝撃に全ての影縫い針は吹き飛び、メイは空中に体を投げ出される。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
その体を通り抜けた紫電は黒色に姿を変え、空へと吸い込まれるようにして消えていった。
メイの体は数メートル向こうに落着して、そのまま動かなくなる。魔力をなくした彼女は、すでにメイド服ではなく、普通のワンピースに戻っていた。気を失っているが、大した怪我もしていないだろう。なんかいやだけど、後で手当てしなくちゃ。
「さくらちゃん」
うしろからの声に振り返ると、そこにはあやめさんの姿があった。
痛々しい怪我のまま、ここまで歩いてきたのだろうか、その額には脂汗が浮き出ている。
「あっ、あやめさんっ! だめです、じっとしてなきゃ!」
しかし、体のことなど歯牙にもかけないで、あやめさんは私をぎゅっと抱きしめた。
「わぷっ!」
大きな胸が、私の顔をはさむ。私はやわらかい感触に息が詰まりそうになりながら、微笑みを向けるあやめさんを上目遣いに見た。
「ありがとう、さくらちゃん」
同時に、私の体から光が発生し、バトンへと収束する。その光が全てバトンへ吸い込まれる頃には変身が解けていて、元の服装に戻っていた。
「あっ……」
「あのままだったら、きっとあの子……メイは、魔力の暴走に耐え切れなくなっていた……あなたが開放してくれたおかげで、もとのあの子に戻ったみたい」
あやめさんが指を指す先には、起き上がるメイがいた。状況を飲み込めていないといった感じである。
状況を飲み込めていないのは、私も一緒だ。変身が解けた今は何が何のことやら……
「大丈夫、後でちゃんと説明するわ」
まるで心を読んだかのようなあやめさんの言葉に、私は目を丸くしてその顔を見た。
「それより今は……」
「んんっ!?」
 再び豊満で柔らかい胸に顔をうずめられる。気持ちいいけど、やっぱり息ができない。
「こうさせて、ね」
 私とあやめさんを、スポットライトのように月が照らす。そこを、やさしくそよ風が通り抜けていった――


FIN

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