248take back
大脱走でもするのかと思ったが、事はすんなり進んだ。
四路とかいう女がいろいろとやってくれたんだろう。
成績の優秀さを認められ、日常生活に対応できるかどうかのデータをとる、ということになるらしい。
監視は四路や三澤博士の一派がするらしく、彼は一応の安全はえられるらしい。
最後の練習を終え、彼は自らの部屋に戻ってきた。
Aクラスにはランキング制度があり、頂点に立つものは個室が与えられるのだ。
(思ったより、あっさりだな)
あれだけ目指した日常が、もうすぐそこにある。
記憶は消されるという事で、戻ったときには、もうすでに自分自身は存在していない訳だが。
「…」
ツヨシ、ユウ。
ありがとう、ごめん。
荷物は全て借り物だ、何一つ自分の持ち物がない降矢は神高博士にもらったピアスだけを耳につけて部屋の外に出て。
バタン。
ドアを閉めた。
三澤「準備はいい?」
どこかで見たような景色だ。
地下の駐車場に、三澤博士と、四路、そして毅がいた。
三澤「No.229君は逃げて、記憶は消しておくから、普通の人間として…生きて」
四路が深くうなずく。
三澤「それでも野球を始めるなら、それは君の運命。
…ありえないと思うけど、その時はもう一度検診を行うから」
四路「…そうなったら、新しい名前が必要だと思うの。不本意かもしれないけど、彼の名前を借りる事にしたわ」
そう言って、横の男を指差す。
毅「…俺は四路様についていく。あの男とも、手を切ろうと思う。…その名前はお前にやるよ。誰も必要としなかった名前だがな」
四路「…良かったの?それで」
毅「あの男よりも…鋼さんのほうが親父らしいさ」
四路「…わかったわ、鋼」
三澤博士が降矢の両肩に手を置いた。
三澤「君は、普通の体じゃない、Dの刻印を押されたニューエイジ。
でも、日常生活には支障ないから…願わくば平穏に生きて。
君は今日から…」
降矢「降矢、毅――――。」
夜、降矢の残った右目が、急に開いた。
ざわざわ、と茂みが揺れる音。
窓を叩く雨。
見覚えの無い天井は、病院のものだった。
外の方が明るい部屋の中で、雷が降矢のシルエットを映し出す。
降矢「ナナコ…エイジ…ユウ、ツヨシ…サトミ…ハガネ…そうか……そうだったのか…」
???「思い出したのか?」
カッ。
雷光が、もう一つの影を映し出した。
自らの隣に誰かが座っていた。
黒いコートに紫色の長髪、夢で見たその姿をそのまま大きくしたような…。
降矢「降矢…毅?」
鋼「おはよう、もう一人の俺」
ガシャーン!!!!!
近い所に稲妻が落ちたのあろうか、鼓膜がビリビリと震える。
鋼「…腰だけだったDが、右目も覚醒した。そして記憶も戻った…。お前は本来のニューエイジの力を取り戻しつつある」
鋼はパイプイスに腰掛けたまま喋り続ける。
手は前にだらんとたれて、前かがみだ、表情は暗くて伺えなかった。
降矢の額から、一筋汗が流れ落ちた。
鋼「駄目なんだよ、それじゃ」
降矢「…だ、め…?何がだ?」
鋼「お前に壊れられると、四路様が悲しむ。このままだと、お前は確実に壊れる。もって後三試合だ、今のお前の状態ならな。急激な覚醒に体がDについていけてないんだ」
降矢「…」
鋼「おまけに頭にあんな衝撃を受けて、生きてるのが不思議なぐらいだ。普通は失明じゃすまない。もしかしたら、気づかないところで脳にダメージがある可能性もある」
ガァンッ!
また雷が落ちた。
鋼「…何故、野球を続けるんだ。お遊びの文化祭の試合にまで出て。起きたばかりで目のDまで使って。…四路に言われたのか?」
時は、あの試合の前に巻き戻る。
面会謝絶状態の降矢が目を覚ましたとき、隣にいたのは四路智美だった。
四路「…!降矢君?あなた…」
突然、何かに呼ばれたように跳ね起きた降矢に四路は目を丸くした。
包帯が巻かれた左目が痛々しい、きょろきょろと周りを見回して、ぽつりと呟いた。
降矢「…ここは?」
四路「ふ、降矢君、意識が戻ったの?」
降矢「答えろ!ここはどこだ!」
そのままベッドも跳ね起きて、四路に食って掛かる。
制服姿の彼女の襟を掴み上げてそのまま壁際に押し付けた。
四路「かはっ……ふ…るや…君」
降矢「試合はどうなった!森田の野郎は?!俺は…頭に…つ…」
ズキン、と頭に痛みが走って世界が揺れる。
そのまま崩れ落ちた。
四路「!だ、大丈夫!?安静にしてないと…!」
降矢「うる…せぇ…かまうな。今…奴らは…」
四路「…ねぇ」
四路は地面に座り込んだまま、うつむいた。
四路「そんなに、あの人達が大事?」
降矢「ああ…?」
四路「今、降矢君が暴れたらどうなるかわかってる!?頭に衝撃を受けてるのよ!?下手すれば、動けなくなるかも…」
降矢「かまうか!!」
一喝。
降矢に迷いは無い。
不思議と今は、あいつらの為に走ってもいい気分だった。
四路「…そう、そうよね。覚えてない、しね」
降矢「…?何の事だ…」
四路「なんでも、ないわ」
ちっ、と舌打ちして、降矢は痛がる頭を抱えて立ち上がった。
右ひざに両手を乗せて、なんとか立ち上がり、ドアに歩いていく。
四路「ど、どこに行くつもり?」
降矢「学校だ…。試合はもう終わってんだろ…お前と話しててもラチがあかねぇ、相川先輩に話を聞きに行く」
いまだ、ふらついてる彼が街を歩けば交通事故にでも会いそうだが…。
降矢「ふん!!」
バキィッ!!
右手で自らの顔を殴り飛ばす。
四路「ちょ…!」
降矢「へっ、目が覚めたぜ。俺ぁ行くぞ」
ガチャリ、とドアを開ける。
適当に歩いてれば外に出れるだろ、病院の場所は知ってるんだ。
学校までの道はわかる。
四路「…待って」
降矢「なんだ、まだなんか俺に用か」
四路「…今、学校では文化祭がやってるわ。そのイベントの一貫で野球部とソフト部が試合してる」
降矢「…はぁ?」
なんだそりゃ、と降矢は目を丸くした。
またなんでそんなことに、あいつらはやっぱりよくわからん。
降矢「…ってことは、県大会はまだか…やれやれ」
四路「負けた方が、廃部。そういう試合よ」
今度こそ声がひっくり返った。
降矢「…は、はぁ!?お、おいおい文化祭のイベントなんだろ?」
四路「生徒会と教頭が絡んでるらしいわ。あまり詳しくは知らないけれど」
なんのこっちゃ。
しかし、まぁ、とりあえず行かなければならないのは確かだろう。
四路「…?ちょ、ちょっと待って」
降矢「しつけえな…」
突然四路が立ち上がって、降矢の顔を下から覗き込んだ。
そのまま長い前髪を手ですいて、右目を覗き込む。
四路「まさか…あなた…目が…」
降矢「あん?」
その右目には、淡い緑青色がぼんやりと光っていた。
四路「…前兆…なの?」
降矢「ちっ、行くぜ。時間がもったいねーんだ!」
降矢は四路の静止を振り切って走り出した。
そして…。
???「うだうだ言ってんじゃねーよ、やってみなきゃ始まらんだろうが。さっさと行けボケ」
――――。
回想が終わり、視線が目の前の鋼に向けられた。
降矢「俺は、右目のDも覚醒したんだな」
あの打席の後、一時的に目が見えなくなったのはDの後遺症か。
起きぬけで無茶したバチがあたったかな。
鋼「俺は、お前を止めなきゃいけない」
降矢「そうかい」
鋼「壊れるのを黙ってみてられない」
降矢「だったら、どうするってんだ」
鋼「もう一度、お前の記憶を消す」
その声は小さかったにもかかわらず、ひどく響いた。
降矢と鋼の視線が交わる。
降矢「断るぜ。俺は勝たなきゃいけないんだ」
ユウと、ちんちくりんの顔が、何故かだぶって見えた。
鋼「そう言うと思った…。ふふ…出てきたらどうですか四路様」
ガチャリ、とドアが開いて四路が入ってきた。
今までの話を聞いていたのだろうか。
四路「鋼…」
鋼「俺はどちらでも構いません。ただ…こいつの生きたいようにさせるのも、一つの道だと、俺は思います。後は…二人でどうぞ」
入れ違いに、鋼が部屋を出て行った。
雨はまだ降り続いている。
降矢「なぁ……四路だっけか。…忘れてたみたいでよ、今までいろいろ悪かったな」
四路「それは仕方ないことよ、記憶を消されていたんだもの」
そのまま黙り込む。
降矢にとっては急激に情報がたくさん入り込んできたので、軽く混乱していた。
降矢「お前は、俺が全て忘れて生きていく事を望んだ」
四路「…」
降矢「でもさ…全部忘れたら、お前の名前まで忘れちゃうんだぜ。日和美里」
はっ、としたような顔で降矢を見上げた。
右目は確かに四路の顔を捉えている。
降矢「…一緒なんじゃねぇか?いなくなるのも、忘れちまうのも」
四路「それは」
降矢「なら、俺は自分の思う通りに生きてみたい。もう、俺はエイジでもNo.224でもなくて、将星高校野球部の降矢毅としてアイデンティティを得ちまった」
窓の外を見やる。
雨はまだ降り続いている、雨粒が叩きつけられては下に落ちていく。
降矢「…それなら、全てが終わるまで見守っててくれないか?」
四路「でも…それじゃ、あまりにも悲しすぎるわ」
四路は泣いていた。
ぽろぽろと、涙をこぼしながら。
この女が泣くとは、意外だった。
まだ過去の記憶の方が遠い、目の前の少女はミステリアスな雰囲気をまとっているイメージが強かった。
降矢「お、おい、泣くなよ。まだ別に俺が死ぬってわかった訳じゃねーだろうが」
四路「ぐす………それも、そうね。Dが安定してる貴方なら…もしかしたら…す」
こめかみを指でこつこつと叩いて降矢はにやりと口をゆがめた。
降矢「だろ?なーに、ここに球食らっても死ななかったんだ。そんな簡単に死なねーよ、俺みてーな小悪党はよ」
けらけらと笑う。
思い出してから、少し降矢は自分が変わった気がする。
エイジだったころを思い出したからだろうか?
降矢「寝るわ。もうすぐ退院だしな。なんとか試合に出られるまでは大人しくしとくしかねー」
四路「そう…。無茶しないでね。いつでも私は、あなたのことを見ているから…。危なくなったら、私は、止めるわ。いい?」
降矢「好きにしやがれ、ストーカー」
ごろり、と横になると、すぐに眠る事が出来た。
…。
ナナコにも謝らないとな。
そんなことを、どこか遠い所で考えていた。
「…あ、あのお…起きてますか?」
朝一番で、女の声がした。
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