232一軍戦29残光
十回表、一軍9-9二軍。
ガツンッ!!
鈍い音が白く照らされたグラウンドに走る。
植田が頬を抑えたまま、地面に倒れこんでいた。
世界はすでに完全に闇が落ちている。
星空広がる空に浮かぶ痛いほどまぶしい白光が舞台を照らしている。
堂島「…」
冷たい目で、一人の男がそれを見下ろしている。
なぜ、ストレートを投げたのだ。
堂島「私は、変化球を要求した」
植田「…」
堂島「命令無視だ、植田」
だが、堂島もわかっている。
きっと誰もがわかっている。
あの場面で変化球を投げていれば、今頃試合はとっくに終わっていた。
しかし誰も反論することはできない。
堂島が絶対だから。
絶対が絶対たる由縁…神緒も無表情のまま倒れた植田から目をそらしていた。
植田「申し訳ございません」
納得いかない。
いや、納得しなければならない。
なぜ堂島さまの言うことに反抗しなければならないのだ。
自分はこの方のおかげで全てをえられたはずなのに。
いや。
手にした翼は、ラジコンの飛行機だったのかもしれない。
どこへでも自由に飛べるわけもない。
操作されて、地面に墜落されるまで飛び続けるだけだ。
そんな翼を望んだのだろうか。
地面を走るのがいやになって、空を見続けて。
憧れだと思って手にしたのは、イカロスの翼だったのか。
植田「申し訳ございません」
かと言って何が出来るわけでもない。
絶対忠誠を誓ったのだ。
堂島「申し訳…だと」
堂島も苛立っていた。
自分のしたことが間違っていると自分でわかっているのに、結果が追いついてこない。
自分のやりたいことをやって、かつ、結果は自分の望んだものでなければならない、そのために強大な力を手にしているのだから。
だから植田が正論で、かつ自分が間違っているのに植田が謝っているという状況に対して、世界に対して腹が立っている。
無茶苦茶だ。
堂島「貴様…一体何度この私を愚弄すれば気がすむのだ!!」
堂島が右肩を振り上げる。
もう一度、殴られる。
植田は目を閉じた。
―――だが、拳は飛んでこなかった。
南雲「それぐらいにしとくぜよ」
南雲が堂島の振り上げられた手をつかんでいた。
闇夜に照らされた証明のせいで、
堂島「南雲…どういうつもりだ、敵に口を出すなど」
南雲「阿呆言っちゃいかん、わしらは桐生院高校野球部じゃ。部員が殴られるのを黙っちゃおけん」
堂島「放っといてもらおう!!!」
ギリッ。
堂島の手首を握っている南雲の右手に力が入る。
堂島の顔がわずかに苦痛に歪んだ。
南雲「阿呆か、選手つぶしてなんになるぜよ!!」
堂島「手足になれぬ配下など必要ない!」
南雲「堂島ァ!!!」
咆哮。
だが堂島も南雲の両眼を睨んだまま微動だにしない。
堂島「約束は守ってもらうぞ。貴様らが負けた場合…退部してもらう」
南雲「この期に及んで…わかっとるぜよ」
ガッ、と勢い良く南雲を振り払う。
その差、1M。
二人の男がにらみ合っている。
闇から這い出すような白さが、側面を照らし出している。
堂島の瞳の奥は黒く何も見えない、対照的に、漆黒の前髪の間から南雲の鋭い目がちらちらと覗いている。
充血している南雲の瞳は、反射とあいまって鮮血のような赤さに見える。
南雲「決着をつけるぜよ、やってやって、やりきって何も残らなくなったら、終わりぜよ」
堂島「そうだな」
お互いが反対方向を向く。
踏み出した一歩の力強さは、こっけいなほど両極端だった。
望月「悩んでんじゃ、ねぇのか」
マウンド上の望月は、誰にでもなく呟いた。
ただそれは九番、バッターボックスの植田には十分伝わった、大きすぎる独り言。
望月の目線は斜め上を向いていた、顔は打席をはずし、真横を向いている。
望月「それで、良かったのかってよ」
植田「何の話だ」
望月「独り言だよ」
植田「大きすぎる」
望月「かもな」
笑って、足元をならす。
望月「九回をあれだけのストレートを初回から全力で投げきったんだ。お前はすげぇよ」
植田「そうか」
望月「だからこそ、歯がゆいんだ」
植田「…」
望月「人間的にお前は大嫌いだ…が、今のお前は哀れだぜ」
植田「何だと…」
望月「たまにはある、だけど、『ずっと』投げたい球が投げれないんなら、俺はきっと野球なんかやめちまうぜ」
―――ズバァン。
自身の微塵と変わらぬ程の威力のストレートが来る。
重い音ではないが、速い、のびる、とにかくのびる。
なんでなんだ。
こいつは俺のように、何かズル、をした訳ではない。
なのに、なぜだ。
植田「…何故ここまで、力のこもったボールが投げられる」
三上「投げさせられてないから」
三上は植田の独り言に反応した。
植田「投げさせられて…」
三上「植田君は昔は、あんなに威力のあるストレートを投げることは出来なかった。それでも…僕の眼には、今よりも楽しく野球やってたと思うよ」
植田「…勝てなきゃ、意味なんか、ない」
―――ズバァンッ!!!
植田のバットが空を切る。
涙は流さない、思いは夜風にまぎれていく。
堂島(いつまでくすぶっているつもりなんだ)
一体、どこまでが堂島様だったのだろう。
そしてどこからが堂島だったのだろう。
望月に対する憎しみと嫉妬で全てが狂っていた植田に、優しく声をかけた堂島は誰だったのだろう。
結局、堂島は思い通りになるモノが欲しかったのだけなのか。
間違えているのか、俺は。
どこか訳のわからない場所で、起きたとき右肩には今までにはない満ち溢れたパワーで満たされていた。
これなら戦える。
望月を見下すことが出来る。
見下す…見下さなければならなかったのは何故なんだ。
変なプライドさえ無ければ、今頃俺は望月と笑いあっていたかもしれない。
いや、それはないか、望月のことは人間的に嫌いだから。
―――それでも。
ズバァン!
『ストライク、バッターアウト!!!』
三球連続の、ライオンハート。
望月の心が、叫んでいた。
右肩が躍動している。
望月「オラァアッ!!」
拳を強く握って、ガッツポーズ。
観客もその一挙一動に沸く。
ああ。
植田「……………間違えた?」
虫のさえずりが聞こえないほど、グラウンドは人の声で埋め尽くされている。
秋の涼しさを感じさせないほど、グラウンドは熱気であふれている。
月の明るさをがわからないほど、グラウンドは照らされている。
望月「ウォアアアアッ!!!」
右手から、白い光が飛び出していく。
刹那、全てを貫いていくその球は、バットをかいくぐってどこまでも進む。
ライオンハートは、投げる者の心を写す。
迷いはない、南雲が、藤堂が、上杉が、弓生が、布袋が、三上が、妻夫木が、威武が、誰もがこの試合にかけている。
思いは、力になる。
それを証明する。
疲れなど、当の昔に感じなくなっていた。
吐き出す息と共に、口を食いしばり、左足に全神経を集中させる。
放つ。
―――ダァンッ!!!
『ストライクバッターアウッ!!チェンジ!!!』
―――――ワァアアアアアッ!!!!!!!
地鳴りで、世界が揺れる。
自分の鼓動が高鳴っているのを、望月は感じていた。
行ける。
どこまでも、行ける。
両目は力強さで輝いている。
一番国分、二番烏丸をストレート…いやライオンハートのみで連続三振。
この試合の前半戦を再現しているかのようだ。
望月の体からわずかに湯気が出ていた、それが照明を受けてキラキラと輝いている。
延長戦は、続いていく。
十回裏、一軍9-9二軍。
不信感は募っていく。
いや、不信感などもってはいけない。
自らの心のうちで、全てがせめぎあっていた。
ストレートを、何故、投げれないんだ。
違和感。
自分が投手であることへの、強い違和感。
試合の中での疎外感。
自分はただ『投げている』だけだ。
勝負なんてしちゃいない。
それでも、堂島は変化球を要求し続けた。
まるで全てへ反抗するように。
それでも、植田は投げ続けた。
神経をすり減らして、矛盾と戦いながら。
ヒットを打たれ、四球を出し、ランナーを抑えながらも、一番の弓生をアウトにとり、なんとかしのいだ。
植田「…」
汗。
ひたいをぬぐうと、ひじには水の粒が残っていた。
疲れ?
感じたことも無かったのに。
―――どくん。
急に、心臓が強く鳴り始める。
何が。
どこで。
間違えた?
首を振る。
植田「勝てば…いいんだ。勝てば…全てなくなって消える。俺には俺だけが、きっと残ってくれる…」
十一回表、一軍9-9二軍。
望月は、何度目かもわからない試練を迎える。
三番、ファースト、『千里眼』牧!
淡い光の欠片が、グラウンドに残っている。
目の前のサングラスに、たいして一歩を低きはない。
牧「……しぶといんですよ…だから、おかしくなる。さっさと負ければいいものを!!」
望月「そんな短時間でおかしくなるような結束なんか、無くてもかわんねぇよ!!!」
―――バァンッ!!!
『ストライク、ワンッ!!』
ギリ、と、牧の歯が鳴った。
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